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右近権左衛門 (10代目)

日本の実業家 ウィキペディアから

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10代目右近 権左衛門[1](うこん ごんざえもん、1853年10月19日嘉永6年9月17日〉 - 1916年大正5年〉2月9日[2])は、日本実業家日本海上保険・朝鮮電気・大阪火災海上運送保険各社長[3]。族籍は福井県平民[3]。幼名は吉太郎[4]

経歴

越前国南条郡河野浦(現・福井県南条郡南越前町河野)出身。右近廣隆の長男[3]。家業は回漕業[2]。父を助けて繁雑な業務を指揮するばかりでなく、自ら船に乗って航海の実地を研究し、又各地の荷主と自ら折衝して、専心家業の発展に努力した[4]1882年家督を相続した[3]

父同様に積極的に北前船経営を行う。回漕業以外に貿易にも手を広げていき[4]、従来の弁財船に加えて大型蒸気船も数多く保有した。北陸親議会や日本海運業同盟会、日本海上保険会社などの設立に大きな役割を果たした。

人物

幼少時から非常に剛毅で家人の手に余ることさえ度々だった[4]。有名な大のみだったが、信用徳望は絶大なものがあり、地方人はよく彼に推服していた[4]。住所は福井県南条郡河野村、大阪市西区西長堀北通5丁目[3]

家族・親族

右近家

右近権左衛門家のルーツは、江戸時代前期まで溯ることができる。1680年(延宝8年)に河野浦の金相寺3代目住職漸祐が、4代目となる専祐の弟を寺の養女と縁組させ、田畑山林とともに船1隻を与えて分家させた[5]。その船出はささやかなものであった。

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北前船主の館・右近家
親戚

脚注

参考文献

関連項目

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