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叶澤清介

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叶沢 清介(かのうざわ せいすけ、1906年12月12日 - 2000年6月26日[1])は、福島県出身の図書館員。第3代県立長野図書館長(1949年-1965年)。

概要 かのうざわ せいすけ 叶澤 清介, 生誕 ...

経歴

1929年(昭和4年)に文部省図書館講習所を卒業し、同年に県立長野図書館司書となる[2]乙部泉三郎のもとで開館の準備にあたり、県立長野図書館は同年9月に開館している[2]。1934年(昭和9年)には栃木県教育会図書館の司書となり、1935年(昭和10年)の新館の開館準備にあたったが、新館の開館3か月前に日本赤十字社図書館の主任となっている[2]。1938年(昭和13年)には日本大学高等師範部国語漢文科を卒業している[2]。1942年(昭和17年)には内閣技術院科学資料課参技官となった[2]

太平洋戦争後には内閣技術院が解体され、文部省科学教育局科学資料調査課科学教育調査班の班長となった[2]。1947年(昭和22年)には文部省迷信調査協議会の幹事となり、1949年からの信州大学厚生課長を経て、同年に乙部泉三郎の後任として第3代県立長野図書館長に就任した[2]。1950年(昭和25年)からはPTA母親文庫を推進し、PTA母親文庫は1961年(昭和36年)に利用者数がピークに達した[2]。1961年に日本図書館協会理事となり、1966年(昭和41年)には日本図書館協会事務局長となった[2]。日本図書館協会顧問、日本出版協会理事なども歴任している[2]

2000年6月26日、多発性脳梗塞のため死去[1]

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著書

  • 『読書運動』日本図書館協会、1974年
  • 『図書館、そしてPTA母親文庫』日本図書館協会、1990年

脚注

参考文献

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