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吉村周山
1700-1776, 江戸時代の大坂の絵師、根付師 ウィキペディアから
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吉村 周山(よしむら しゅうざん、元禄13年(1700年) ‐ 安永5年(1776年)[1])は江戸時代の大坂の絵師、根付師。
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来歴
大坂の人。吉村氏、名は充興。通称は周次郎。周山、探仙、探僊(仙)叟、探興斎と号す。島之内・油町二丁目に住んでいた。鶴澤派に属する牲川充信の門人。寛延から安永頃に活躍し、大岡春卜と並び評された。安永6年(1777年)刊の『難波丸綱目』によると、当時の大坂では大岡春卜派と周山派が二大流派で、門人18名が記されている。寛延3年(1750年)刊の『和漢名筆画英』、明和4年(1767年)刊の『和漢名筆画宝』では、古今の名画を写した絵手本を出版している。時期は不明だが、法眼位を得ている。三宅春楼、中井竹山・履軒ら儒者や書画家と交流あり、。山水・人物を得意としたとされ、鶴の絵が多い。
根付師としても著名で、天明元年(1781年)刊の『装剣奇賞』では、根付師の冒頭に周山が挙げられ、彩色するのが特徴だった。贋作も多く出回ったが、どれも周山の作には遠く及ばなかったという。周山は根付を制作する際、『山海経』や『列仙伝』の挿絵を参考にしたという(『装剣奇賞』)。ただ、根付はあくまで余技で、中年になると制作をやめてしまい、息子の周圭すら実物はあまり見たことがないと述べている。墓所は、大阪市天王寺区下寺町の光明寺。門人に子の吉村周圭、森周峰らがいる。
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作品
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脚注
参考文献
外部リンク
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