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寺島長資
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寺島 長資(てらしま ながすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長尾氏(上杉氏)の家臣。魚津城の戦いにおける守将の1人。
略歴
吉江景資の長男として誕生。寺島和泉守の養子となり寺島氏の名跡を継いだ。
天正10年(1582年)の魚津城の戦いでは、祖父・吉江宗信、父・景資、弟・中条景泰と共に守将となって奮戦するも、同年6月3日に織田信長の大将・柴田勝家に攻め落とされ、一族と共に自刃した。「魚津在城衆十二名連署書状」には4番目に名が記されている。なお、自刃した日は本能寺の変で信長が自害した翌日であった。
菩提寺となった遍照寺に長資の墓碑が伝わっている。
系譜
出典
- 史料
- 『越佐史料』
- 『上杉家御年譜』
- 『中条家文書』
脚注
外部リンク
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