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君島清吉
日本の内務官僚 ウィキペディアから
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君島 清吉(きみじま せいきち[1]、1889年(明治22年)4月16日[2] - 1966年(昭和41年)1月11日[1])は、日本の内務官僚。官選県知事。

経歴
栃木県下都賀郡栃木町(現栃木市)出身。君島寅吉の長男として生まれる[2]。第一高等学校を卒業。1917年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し奈良県工場監督官補となる。1919年10月、高等試験行政科試験に合格[3][4]。
以後、奈良県警視、国勢院書記官、内務省社会局事務官、同書記官、同労働部労務課長、兼同部労政課長などを歴任[3]。
1931年12月、茨城県知事に就任[5]。1932年6月、香川県知事に転任。県下の治安と県民の生活安定に尽力[2]。1933年6月、宮崎県知事に転任。同年7月、置県五十周年記念式を挙行[6]。1935年1月、群馬県知事に転任。同年9月の大水害の復興に尽力[3]。1937年7月、福島県知事に転任[7]。1939年9月、前任中村安次郎知事の死去に伴い新潟県知事に就任。八か月の在任で1940年4月に知事を退任した[8]。
1940年に退官[4]し、大日本産業報国会中央部総務局長となる。さらに、鉄道軌道統制会常務理事、東亜学院長、大起興業会社社長などを務めた[2][3]。
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著作
- 述『勞働問題』1928年。
- 『労働問題教程』良書普及会、1931年。
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
脚注
参考文献
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