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呂号第五十六潜水艦 (2代)
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呂号第五十六潜水艦(ろごうだいごじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の18番艦。初代については呂号第五十六潜水艦 (初代)を参照。
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艦歴
1942年(昭和17年)の昭和17年度計画(マル追計画)[1]により、1943年(昭和18年)12月2日、三井玉野造船所で呂号第七十五潜水艦として[要出典]起工。1944年(昭和19年)7月5日、呂号第五十六潜水艦に改名されて[要出典]進水。1944年11月15日に竣工し、二等潜水艦に類別[1]。同日、舞鶴鎮守府籍となり[4]、訓練部隊である第六艦隊第11潜水戦隊に編入された。
1945年(昭和20年)2月10日、第34潜水隊に編入[4][5]。
3月18日、呂56は佐伯を出港し、九州南西沖に進出[5]。22日、哨戒区域に到着したとの報告を最後に消息不明となる[1]。
アメリカ側記録によると、4月9日、沖縄西方沖で、米機動部隊を護衛中の米駆逐艦マンセン(USS Monssen, DD-798)が820mの距離で潜航中の潜水艦をソナー探知し、爆雷攻撃を行った。その後、米駆逐艦マーツ(USS Mertz, DD-691)が合流し、爆雷攻撃を行った。その後、マンセンの最後の爆雷攻撃で潜水艦を撃沈した[5]。これが呂56の最期の瞬間であり、艦長の永松正輝大尉以下乗員79名全員戦死[2]。沈没地点は沖縄西方45浬地点付近、北緯26度09分 東経130度21分。
4月15日、沖縄南西諸島海域で亡失と認定され、5月25日に除籍された。
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歴代艦長
艤装員長
- 不詳
艦長
- 永松正輝 大尉:1944年11月15日 - 1945年4月9日戦死[2]
脚注
参考文献
外部リンク
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