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和樂備神社
埼玉県蕨市にある神社 ウィキペディアから
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和樂備神社(わらびじんじゃ)は埼玉県蕨市にある神社である。新字体を用いて和楽備神社と表記されることが多い。蕨市の総鎮守として崇敬される。旧社格は村社。
祭神
歴史
創建から江戸時代までのことは、別当寺を務めた三学院末成就院が廃寺となったために明らかでない。社伝によれば、室町時代に足利将軍家一族の渋川氏が蕨城を築き、その守り神として八幡神を祭ったのが始まりとされる。一方、「世鏡伝記題臨書」[1]によれば、永正8年(1511年)に鎌倉の住人、成田隼人正が祭ったとする。また、本殿に安置された神体(木造僧形八幡立像)の台座に天正11年(1583年)の文字が薄く残されている。
江戸時代に蕨宿が整備されると、「蕨八幡」「上の宮」と呼ばれ、中の宮(宮田 氷川社)、下の宮(荒井前 氷川社)と共に蕨宿三鎮守として重きをなした。
明治6年(1873年) - 村社八幡社に列格、国の管理を受ける。
明治末に神社合併という国策が打ち出され、蕨町においても町内各社を当社に合併することになったが、それぞれの集落民が納得するまでには、数年を要した。明治44年(1911年)12月15日、最後まで承服しなかった塚越稲荷神社を除いた18社[2]を合祀[3]した。合祀後の神社名に、祭神名(八幡神)を取ることは、各集落とも承服しない状況であった。土地名を冠することとなり、蕨一字では尊厳味がないので、岡田健次郎元町長の知人本居豊穎に依頼し、万葉仮名から取って、和樂備神社と命名した。そして、各合祭神社の建物・鳥居・敷石を移転したり、境内の拡張整備を行った。この時、八幡社の本殿は末社稲荷の社殿にまわし、丁張稲荷社の本殿を当社の本殿として移築した。これらの整備は大正末までかかった。
昭和39年(1964年) - 合祀55年を記念して、本殿の移築、幣殿と拝殿を新築する。旧拝殿は手水舎前に移築され神楽殿として使用した。
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境内
- 神輿殿
- 江戸末期に拝殿として建立。昭和39年(1964年)の拝殿新築により、当建物は手水舎前に移築し神楽殿になったが、倉庫にされていた。平成26年(2014年)に改築し、神輿殿として蘇った。
- 乃木希典の銅像
- 戦争記念碑
- 木遣塚
- 蕨鳶消防組の活動を記念して建てられた。
摂末社
- 天神社本殿
- 祭神:菅原道真公
- 宮田の天神社(現在の中央5丁目)の本殿を、末社天神社本殿として移築したものである。一間社流造で、屋根はこけら葺形銅板葺で、もとは彩色されていた。17世紀初めの建立と推定される。蕨市指定文化財。
- 鐡山大権現
- 祭神:不詳
- 丁張稲荷神社境内にあったものを、明治44年の合祀の際に当社に移設。
- 建築三神の碑
- 榛名神社納札所
- 富士浅間神社・小御岳神社
- 御嶽講碑
- 木曾御岳三山「御嶽山」「八海山」「三笠山」の信仰碑。
- 津島牛頭天王(つしまごずてんのう)
- 御主殿社
- 祭神は渋川公とされる。明治44年に当社に合祀されたが、その石祠は蕨城址公園に現存する。
- 母子観音像
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主な祭事
文化財
- 木造八幡騎馬像(もくぞうはちまんきばぞう)
- 当社の前身である八幡社のご神体。現在この像が、和樂備神社のご神体である。一般公開はされていない。蕨市指定文化財。
- 木造僧形八幡立像(もくぞうそうぎょうはちまんりつぞう)
- 当社の前身である八幡社のご神体。天正11年(1583年)作。蕨市立歴史民俗資料館で複製品が展示されている。蕨市指定文化財。
- 宝篋印塔(ほうきょういんとう)
- 手水舎の水盤
- 安山岩製の大型の水盤で、四隅が入隅式となっている。造立の時期は江戸初期とされる。背面に銘文が陰刻されていたが、削られており、一部しか判読できない。大正11年(1922年)頃、岡田健次郎元町長が、東京上野で豆腐屋の水槽として使っていたものを譲り受けて蕨まで運んだものである。この豆腐屋の店先に来る前は、上野の寛永寺にあったものだと町長は話していた。昭和27年(1952年)頃に手水舎の水盤として使われるようになる。その後、石造美術研究家嘉津山清から以下の鑑定を得た。2メートル近い大型水盤は江戸時代でも珍しく、それも初期にほぼ限られ、大名家墓所や格式ある社寺に見られる程度である。さらに入隅式の作例は非常に少なく、徳川家に関係するものが殆どであるという。蕨市指定文化財。
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現地情報
所在地
- 埼玉県蕨市中央4丁目20-9
交通アクセス
周辺
- 蕨城址公園 - 境内に隣接。
脚注
参考文献
外部リンク
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