トップQs
タイムライン
チャット
視点

和泉友子

ウィキペディアから

Remove ads

和泉 友子(いずみ ともこ 1962年1月17日[1][2] - )は、1980年代前半期に活躍した日本の元タレント歌手東京都世田谷区出身[3][4](「大田区生まれ」の情報もあり[1])。過去の所属事務所渡辺プロダクション[5]。本名:清瀬 啓子(きよせ ひろこ)[1][2]

概要 プロフィール, 本名 ...
Remove ads

来歴・人物

公表されていたサイズ(1981年当時)は、身長163cm、体重49kg、B82cm、W60cm、H86cm[6][2][1]血液型A型[1]

趣味は読書サーフィンジャズダンススケートボードローラースケート[1]ミッキーマウスの小物集め(1981年当時)[6]、海辺の散歩(子供の頃から海が好きだったことから)[7]ウィンドサーフィンもやっていたことがある[8]。特技は器械体操[9]

9歳の頃から8年間、池上本門寺の合唱団に所属、ソプラノを担当していた[2][4]。中学2年生の時にKISSが好きで大のロックファンだったことからギターを始め[6]、同じ頃にを書き始めていた[2]

東京都立城南高等学校卒業[1][5]。高校生時代はガールズバンドを組んで活動、ギターとリード・ボーカルを担当[2][1]

子供の頃は保育士添乗員に憧れていたことがあり[8]、高校3年生の時には自分の進路について悩んでいたこともあったが[8]、そんな時に雑誌でヤマハ・ボーカル・コースのオーディションを見て応募、一度は補欠合格に留まったが、再挑戦を試みて合格[8][3]してデビューのきっかけをつかむ。作詞家片桐和子のもとでレッスンを積み[8]1981年6月21日発売のシングル『青い水平線』(CBS・ソニー)で歌手デビュー。同年には、ほぼ同期で同じ事務所に所属していた速水陽子若杉ひと美沢田富美子と共に「ナベプロ四人娘」としても売り出された。デビューした1981年には、第7回日本テレビ音楽祭で新人賞候補、第14回新宿音楽祭銅賞、第12回日本歌謡大賞新人祭りにて優秀新人に当選と、賞レースに多くノミネートされた。

丸顔に大きな目から、レッスンを受けてもらった片桐和子に「日向ぼっこのコアラ」と言われるようになり[8]、そこから「コアラちゃん」のニックネームが付いた[6]

1983年7月に渡辺プロ系列の事務所「クマ・スタジオ」に移籍[10]。それ以降は目立った活動も無くなり、実質引退状態になったが、その後、ケイエスクリエイトから発売されたCD『不滅のテレビアニメ主題歌集 ~草原のマルコ・よあけのみち~』にて、『デリケートに好きして』(『魔法の天使クリィミーマミ』主題歌、オリジナル歌唱:太田貴子)をカバーして歌い、これに同曲が収録されている。

Remove ads

ディスコグラフィー

シングル

さらに見る 発売日, レーベル ...
  • 『青い水平線』は、オムニバスCD『フラワー・ポップスvol.2』(2000年11月5日発売、発売・販売元:新星堂)に収録されCD化されている。
  • 『街角ロンリネス』は、オムニバスCD『フラワー・ポップス・シリーズ5 幻のビューティー・アイドル』(2001年11月10日発売、発売・販売元:新星堂)に収録されCD化されている。

アルバム

さらに見る レーベル, 規格 ...
Remove ads

出演

テレビ

ラジオ

映画

CM

連載

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads