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和田胤長
1183-1213, 鎌倉幕府の御家人 ウィキペディアから
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和田 胤長(わだ たねなが)は、鎌倉時代前期の御家人。和田義盛の甥。弓の名手と伝わる。
略歴
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寿永2年(1183年)、和田義盛の弟和田義長の嫡男として誕生。
建暦3年(1213年)、従兄弟で和田義盛の子である義直・義重らと共に泉親衡の乱の謀議に加わり、捕縛された。このとき義盛の嘆願により義直、義重は赦免されたが、胤長一人だけ赦されず、陸奥国岩瀬郡に配流となった。
没収された胤長の屋敷は一旦は義盛が拝領することとなったが、北条義時の反対に遭い、結局は北条氏の預かりとなったため、面目を潰された義盛は北条氏を打倒する意思を固め、同年の和田合戦に繋がる事となった。胤長は和田合戦の後、配流地で処刑された。享年31。
画像集
- 伝・和田平太胤長廟墓(須賀川市)(福島県須賀川市稲下原9-5)
- 笠地蔵(伝和田平太胤長供養塔)(福島県岩瀬郡鏡石町中央)
関連項目
- 『吾妻鏡』
関連作品
- テレビドラマ
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