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四条隆顕
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四条 隆顕(しじょう たかあき)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。権大納言・四条隆親の次男。官位は正二位・権大納言。善勝寺長者。善勝寺大納言と称した。法名は顕空。
経歴
正嘉元年(1257年)参議に任ぜられ、公卿に列する。建治2年(1276年)父・隆親が大納言に再任された代わりに権大納言を辞する。翌3年(1277年)出家。隆親との不仲が出家の理由とされる[1]。出家後の消息は不明。
人物
鎌倉時代頃に成立した日記『とはずがたり』の作者・後深草院二条は姪(隆顕の兄弟姉妹・近子の娘)にあたり[2]、二条の父・源雅忠が文永9年(1272年)に亡くなってからは彼女の後見役となった[3][4]。また、二条の恋人「雪の曙」に比定される西園寺実兼とも親しかった[5][6]。
官歴
『公卿補任』による
- 時期不詳:正四位下、左近衛中将
- 正嘉元年(1257年) 11月10日:参議
- 正嘉2年(1258年) 正月5日:従三位
- 正元元年(1259年) 3月8日:正三位。4月17日:右兵衛督、検非違使別当
- 文応元年(1260年) 某月某日:加賀権守。8月28日:遷兼右衛門督
- 弘長元年(1261年) 3月27日:権中納言、更右衛門督。8月20日:兼中宮権大夫
- 弘長2年(1262年) 3月29日:従二位
- 文永3年(1266年) 正月5日:正二位
- 文永6年(1269年) 5月1日:兼左衛門督。11月28日:権大納言
- 文永11年(1274年) 10月9日:大嘗会検校
- 建治3年(1277年) 5月4日:出家(法名顕空)
系譜
参考文献
- 市古貞次、堤精二、大曾根章介 ほか 編『国書人名辞典』第2巻、岩波書店、1995年、ISBN 4-00-080082-5。
- 市古貞次、堤精二、大曾根章介 ほか 編『国書人名辞典』第4巻、岩波書店、1998年、ISBN 4-00-080084-1。
- 加賀元子「『とはずがたり』における「遊女」 -その意義-」『武庫川国文』42号、武庫川女子大学国文学会、1993年。
- 呉竹同文会『とはずがたり全釈』第2版、風間書房、1978年。
- 玉井幸助『中務内侍日記 新注』大修館書店、1958年。
- 横井孝「源氏物語絵巻伝流史管見 ―『豊明絵草子』『寝覚物語絵巻』との関連において―」『国文学年次別論文集』中古2、学術文献刊行会、1986年。
脚注
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