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国鉄タキ9000形貨車
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国鉄タキ9000形貨車(こくてつタキ9000がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した私有貨車(タンク車)である。
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概要
要約
視点
本形式は、クロロホルム専用の35t 積タンク車として1961年(昭和36年)11月2日から1981年(昭和56年)3月31日にかけて23両(コタキ9000 - コタキ9022)が富士重工業、日立製作所、日本車輌製造、川崎重工業にて製作された。
記号番号表記は特殊標記符号「コ」(全長 12 m 以下)を前置し「コタキ」と標記する。
本形式の他にクロロホルムを専用種別とする形式には、タキ6810形(1両)のみである。
1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「毒61」(毒性の物質、毒性物質、危険性度合2(中))が標記された。
落成時の所有者は、信越化学工業、三井化学(その後三井東圧化学へ社名変更)、旭硝子、徳山曹達の4社でありその各々の常備駅は黒井駅、笠寺駅、知手駅、新南陽駅である。
三井東圧化学所有車4両(コタキ9010 - コタキ9013)が1984年(昭和59年)7月30日に信越化学工業へ名義変更された。
徳山曹達所有車2両(コタキ9021 ,コタキ9022)が1988年(昭和63年)6月15日に日本石油輸送へ名義変更された。
旭硝子所有車2両(コタキ9014 ,コタキ9015)が1994年(平成6年)1月に信越化学工業へ名義変更された。
長年に渡る製造、製作メーカー数、ユーザー数の多さ、等の条件により形態の変化の多い形式である。
荷役方式は、積込みはタンク上部の液入管からの上入れ、荷降ろしは吐出管からの下出し方式、液出管と空気管による上出しの2種類が存在した。
車体色は黒色、寸法関係は全長は10,700mm、全幅は2,400mm、全高は3,872mm、台車中心間距離は6,600mm、実容積は23.5m3、自重は16.7t、換算両数は積車5.0、空車1.6であり、台車はベッテンドルフ式のTR41C、TR41E-12、TR41E-13、TR225、TR213Cである。TR41C装備車は後にTR41DS-13に改造された。
1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には21両(コタキ9001 ,コタキ9002を除く全車)の車籍がJR貨物に継承されたが、1997年(平成9年)度から淘汰が始まり、2002年(平成14年)6月に最後まで在籍した2両(コタキ9021 ,コタキ9022)が廃車となり同時に形式消滅となった。
年度別製造数
各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名、区分分けはロット毎)
- 昭和36年度 - 1両
- 富士重工業 1両 信越化学工業(コタキ9000)
- 昭和37年度 - 2両
- 富士重工業 2両 三井化学(コタキ9001 - コタキ9002)
- 昭和38年度 - 1両
- 富士重工業 1両 信越化学工業(コタキ9003)
- 昭和39年度 - 1両
- 富士重工業 1両 信越化学工業(コタキ9004)
- 昭和43年度 - 3両
- 日立製作所 1両 信越化学工業(コタキ9005)
- 日立製作所 2両 信越化学工業(コタキ9006 - コタキ9007)
- 昭和49年度 - 9両
- 富士重工業 2両 信越化学工業(コタキ9008 - コタキ9009)
- 日本車輌製造 2両 三井東圧化学(コタキ9010 - コタキ9011)
- 富士重工業 2両 三井東圧化学(コタキ9012 - コタキ9013)
- 川崎重工業 3両 旭硝子(コタキ9014 - コタキ9016)
- 昭和50年度 - 2両
- 日本車輌製造 2両 信越化学工業(コタキ9017 - コタキ9018)
- 昭和54年度 - 3両
- 日本車輌製造 2両 信越化学工業(コタキ9019 - コタキ9020)
- 日本車輌製造 1両 徳山曹達(コタキ9021)
- 昭和55年度 - 1両
- 日本車輌製造 1両 徳山曹達(コタキ9022)
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参考文献
- 吉岡心平 『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑(復刻増補)』 2008年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-0583-3
- 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)
関連項目
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