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土橋亭里う馬
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土橋亭 里う馬(どきょうてい りゅうば)は、落語家の名跡。当代は十代目。
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初代三遊亭圓生門下の初代司馬龍生を祖とする司馬派は、江戸時代において隆盛を極めたが、明治時代以降は衰え、本家である龍生の名跡を襲名する者は50年以上も現れておらず、今はこの里う馬が名を残すだけである。現在は落語立川流に所属する落語家が里う馬を名乗っている。
2代目
二代目土橋亭 里う馬 (生没年不詳)通称∶肴屋 巳之吉。浅草聖天町の出身。最初は桃太郎というが師匠は不明。後に「柳蝶」に改名。天保末に初代の門下で「里ん馬」、1852年に「里う馬」を名乗った。『東形人廼口同言』には寄席金沢亭の席主であったというような記載がなされている。努力家であったが人気は今ひとつであり、その外見から「鼻赤の里う馬」と言われていたという。慶応年中に横浜で没した。
3代目
三代目土橋亭 里う馬(生没年不詳)通称「眼パチの里う馬」。初代登龍亭鱗蝶の門下で「鱗生」。後に初代土橋亭里う馬の門下で「二代目司馬鱗蝶」、「鱗ん蝶」から「四代目司馬龍生」を経て「三代目土橋亭里う馬」を襲名した。
5代目
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