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坂本昭 (政治家)
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坂本 昭(さかもと あきら、1913年《大正2年》7月24日 - 1978年《昭和53年》12月2日)は、日本の医師、政治家。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
高知県選挙区選出の元参議院議員で、1956年(昭和31年)から1962年(昭和37年)まで務めた。第24・25・26代高知市長も務め、在任期間は1967年(昭和42年)から1978年(昭和53年)10月まで。
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経歴
- 1930年(昭和5年) - 高知県立城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)修了。
- 1933年(昭和8年) - 旧制高知高等学校卒業。
- 1937年(昭和12年)
- 東京帝国大学医学部医学科卒業。
- 東京帝国大学医学部付属病院 副手。
- 1938年(昭和13年) - 北支方面 軍医部の伝染病対策に応じ北支・中支へ。
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年) - 国立高知療養所[1](結核専門)初代所長就任(1956年まで)。
- 1950年(昭和25年) - 医学博士。
- 1952年(昭和27年)
- 1956年(昭和31年) - 参議院議員当選(高知県選挙区選出、日本社会党)。
- 1960年(昭和35年) - 大逆事件の真実をあきらかにする会、初代事務局長就任。[2][3]
- 1967年(昭和42年) - 高知市長(24代目)当選(1期目)。
- 1969年(昭和44年)
- 高知県市長会会長就任(1978年まで)。
- 四国市長会会長就任(1970年まで)。
- 1971年(昭和46年)
- 高知市長(25代目)再選(2期目)。
- 全国市長会副会長(1978年まで)。
- 1972年(昭和47年) - 全国市長会相談役(1977年まで)。
- 1973年(昭和48年) - 四国市長会会長(1974年まで)。
- 1975年(昭和50年) - 高知市長(26代目)再選(3期目)。
- 1976年(昭和51年) - 台風17号来襲、非常事態宣言を発す[4][5]。
- 1977年(昭和52年) - 四国市長会会長(1978年まで)。
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)3月27日 - 坂本昭医学研究奨励基金条例[7] 制定。
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著書
- 『忘れ得ぬ人々』 高知複十字会、1956
- 「樺美智子さんの死—主として医学的に」[8]『世界』 岩波書店、1960-08
- 『人間でよかった』 坂本昭友の会、1962
- 『白い葡萄酒』 高知市本町健康診療相談所、1966
- 『ボラとイタズリ』 南海出版、1970
- 「これからの自治体医療」『厚生福祉』時事通信社、1973-07
- 『自由と民権:坂本昭エッセイ集』 土佐芸術村出版局、1974
- 「自治体にとって革新とは何か(完)坂本昭高知市長に聞く」『地方行政』時事通信社、1978-05
脚注
出典・参考文献
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