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坂本直行

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坂本 直行(さかもと なおゆき、1906年明治39年〉7月26日 - 1982年昭和57年〉5月2日)は、北海道出身の画家。北海道開拓民。郷士坂本家8代当主。「直行」を音読みした「ちょっこう」で知られる。

討幕運動の立役者として知られる坂本龍馬は、直行の祖父・坂本直寛のおじになる。龍馬の姉・高松千鶴が、直行の曽祖母となる[1]

来歴・人物

1906年、のちに郷士坂本家7代当主となる坂本弥太郎(木材商社であるKing & Schulze商会釧路支店(本社 函館市 1910年設立)が発祥の坂本商会代表)・直意夫妻の次男として現在の釧路市で出生[2]1911年に郷士坂本家5代当主の坂本直寛(母・直意の父で、直行の祖父)が死去、1913年釧路大火で自宅家財を焼失し直寛の経営していた農場の施設の管理・処分のために、坂本家は1914年札幌区に転居し、札幌二中(現・札幌西高)に通った[2]1924年、直行は父の勧めで北海道帝国大学(現・北海道大学)農学実科に進学[2]。在学中は山岳部に在籍し、登山に親しんだ[2]1927年の北大卒業後は温室園芸を学ぶために東京府(現・東京都)の温室会社に就職[2]。その後、札幌で温室園芸会社を起業するが、父の資金援助がなかったこともあり頓挫する。

1930年、北海道帝国大学の同窓とともに農場経営をするため、札幌の実家に帰らないまま十勝支庁広尾郡広尾に転居し、同地の野崎牧場で働きながら牧場経営を学ぶ[2]1936年に25町歩の土地を取得し、自ら牧場を経営を始める[2]。同年、石﨑ツルと結婚し、五男二女の7人の子どもを儲ける[2]。また、この時期、北大山岳部OBとしてペテガリ岳登頂計画に参加したほか、北海道の自然をモチーフとした風景画や植物画を書き始める。1957年、第一回個展を札幌市で開き、その成功を受け、1959年には東京で個展を開催[2]。以降は画業に専念することになる。1960年より札幌市にアトリエを構え、画題を求めてヒマラヤカナダなどを旅行し始める。1974年北海道文化賞受賞[2][3]1982年膵臓癌のため、札幌市で死去[2]

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作風

水彩画油絵版画などを製作しているが、画題は風景画や植物画が多い。鮮やかな色彩と、無駄のない描線が特色である。

帯広市六花亭製菓の包装紙のデザインを手がけたことで有名である。

顕彰施設

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花柄包装紙館

年譜

要約
視点

坂本龍馬から坂本直行をめぐる坂本家の年表[4]

さらに見る 和暦 (西暦), 坂本家関連事項 ...
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その他

著作新版

  • 『はるかなるヒマラヤ 自伝と紀行』高澤光雄編、北海道出版企画センター、2011年
  • 『原野から見た山』山と溪谷社〈ヤマケイ文庫〉、2021年
  • 『山・原野・牧場 ある牧場の生活』ヤマケイ文庫、2021年
  • 『雪原の足あと』ヤマケイ文庫、2023年

ドキュメンタリー

脚注

外部リンク

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