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城山 (キーウ)

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城山ウクライナ語Замкова гора、ザームコヴァ・ホラー)は、ウクライナの首都キーウにある歴史的地名ドニプロ川の右岸に位置する小高い、キエフ台地の一部。高さは90~100メートル[1]。急斜面を持つ。名称は中世後期のキエフ城にちなむ。古キエフ山シュチェーク山ホンチャリー地区、コジュミャーキ地区、ポジール地区の間に位置する[2]。最古の遺跡紀元前3世紀に遡る。考古学の資料によれば、5世紀末から6世紀初頭にかけてキエフの原型となる集落があったという[1]9世紀から10世紀にはキエフ大公国大公離宮があったとされる[2]1370年代には山頂にキエフ公国公爵の城が建設された[2]15世紀リトアニア大公国キエフ県が設置されると、キエフ県知事の城となった[2]1482年クリミア・ハン国メングリ1世ギレイの来襲によってキエウ城が焼失したが、1545年に再建された[2]17世紀に、アダム・キシーリがキエフ県知事となってキエフ城に置かれたことにちなんで、城山はキシーリ山Киселівка、キセリーウカ)と呼ばれるようになった[2]1651年に、フメリヌィーツィキーの乱の際、ウクライナ・コサックがキエフ城を陥落させて廃止した。以後、城山は農地となった。1816年から墓地として利用されるようになり、1834年フローリウ修道院の所有地となった[2]。これによってキシーリ山はフローリウ山Флорівська гора)と改名された[2]。山頂に修道院の教会が建立され、フローリウ墓地の周りに垣が設けられた。ソ連時代には教会と墓地は破壊され、荒地となった。1990年代に山頂にウクライナ・シーチ銃兵隊記念碑が立てられた。

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キーウの城山
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脚注

参考文献

リンク

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