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堀直次

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堀 直次(ほり なおつぐ)は、江戸時代前期の越後村上藩の世子。堀直寄の長男。

概要 凡例堀 直次, 時代 ...

生涯

慶長19年(1614年)、信濃飯山藩堀直寄の子として、駿府において生まれる[1]。母は長沢松平家出身の松平近清の娘[1][注釈 1]。直寄は駿府の徳川家康のもとに伺候しており[4]、同年の大坂冬の陣では家康本陣の先陣を務めるなど[4]、翌年の夏の陣でも武功を挙げるなど[4]、家康の信任の厚い人物であった。直寄は戦後の元和2年(1616年)に越後蔵王堂藩長岡藩とも解される)8万石、元和4年(1618年)に越後村上藩10万石に移された[4]

寛永3年(1626年)、直次は従五位下・兵部大輔に叙任される[1]。寛永6年(1629年)12月26日、大御所徳川秀忠が直寄邸を訪問した際に、来国光の刀を与えられており[1]、また翌7年2月13日に将軍徳川家光が直寄邸を訪問した際も、同じく来国光の刀を与えられた[1]

寛永15年(1638年)7月17日、25歳で父に先立って死去した[1]

その後の堀家

寛永16年(1639年)6月29日には父・直寄も死去[4]。直次の長男である直定(4歳)が家督を継いで(嫡孫承祖)村上藩10万石の藩主となり、直定の叔父(直次の弟)である直時に3万石が分知された(のち村松藩主)[1]。直定は寛永19年(1642年)に7歳で没し、村上藩堀家は断絶した[1][5]

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脚注

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