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塚本勝嘉

日本の軍人 (1847-1912) ウィキペディアから

塚本勝嘉
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塚本 勝嘉(つかもと かつよし、1847年12月27日弘化4年11月20日) - 1912年1月15日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将男爵。幼名・琢磨。

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塚本勝嘉

経歴

大垣藩士・井道住右衛門の三男として生まれ、同藩士・塚本勝茂の養子となる。大垣藩小隊長として第2次長州征討に出征したが、同藩が新政府側となり戊辰戦争に従軍。1872年、陸軍少尉任官。第6番大隊付を経て、1874年4月、台湾出兵に従軍。熊本鎮台付を経て、1877年2月から10月まで西南戦争に出征した。

歩兵第4連隊大隊長、近衛歩兵第2連隊大隊長等を歴任し、日清戦争には歩兵第6連隊長として出征し、平壌海城の戦いに参加した。陸軍大学校長、第6師団参謀長などを経て、1897年9月、陸軍少将に進級。義和団の乱及び日露戦争に歩兵第21旅団長として出征。日露戦争では、金州南山などに転戦。1904年9月、陸軍中将となり、遼陽会戦で負傷した小川又次中将の後任として第4師団長に就任し、奉天会戦を戦った。その後、第9師団長を勤め、1908年12月に休職し、翌年11月20日、後備役[1]となった。

1907年9月、男爵を叙爵し華族となる。

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栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許
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親族

関連項目

脚注

参考文献

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