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大原寿恵子
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大原 寿恵子(おおはら すえこ、1883年9月10日 - 1930年4月25日)は、アララギ派の歌人で、実業家大原孫三郎の妻。旧姓名は石井スエ。
広島県深安郡深津村(現・福山市)において、石井英太郎の四女として生まれる[1]。1898年(明治31年)、近所に女学校が無かったため、川路寛堂を招聘して中等教育を受ける[2]。1901年(明治34年)、岡山孤児院を創設した石井十次の紹介で、大原孫三郎と結婚し、1909年(明治42年)に長男総一郎を生む。
1921年(大正10年)高野勇五郎より旧派和歌を学び[2]、高野の死後は西川国臣より学ぶ[3]。1925年(大正14年)、労働者のための託児所「若竹の園」を開設[3]。この年より雑誌『アララギ』を読み、歌人・中村憲吉とも会って短歌作りに励む[3]。1927年(昭和2年)、酒津倉子の名義で投稿した短歌が10首、『アララギ』に初めて掲載され、その後は草野鳥子の名義を使う[4]。
1928年(昭和3年)12月、子宮筋腫の手術を受ける。1929年(昭和4年)2月より黄疸を発症し、次第に症状が悪化するも原因が判明せず、6月に京都帝国大学病院に入院。7月、肝臓内胆石症と判明するが、病原を除去することができず、12月に退院して自宅で静養する[5]。1930年(昭和5年)4月、黄疸の悪化により全身各所から出血するようになり、同月25日に死去[6]。
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親族
脚注
参考文献
関連項目
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