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大和田安兵衛

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大和田 安兵衛(おおわだ やすべえ、生没年不詳)は、江戸時代中期から後期の地本問屋・書物問屋。江戸日本橋大伝馬町二丁目に店を構え、堂号は瑞玉堂黄表紙・随筆・国学書・料理書など幅広い出版を行った。

経歴

大和田安兵衛は、日本橋大伝馬町二丁目に住し、初めは安右衛門と称した。屋標は入山形に篆書体の「本」で、俗称は「大和田」であった[1]寛政2年(1790年)、山東京伝作・北尾政美画による黄表紙『心学早染草』三冊を刊行した[2]。また、国学者・加藤千蔭の歌集『うけらが花』の奥書には、「製本所 江戸伝馬町二丁目 瑞玉堂大和田安兵衛」と記され、同店から刊行されたことが確認できる[3]

安兵衛は村田春海門下の歌人・沢近嶺の入門にも関わったとされ、国学書の出版にも携わった[3]享和元年(1801年)には、四季の材料を用いた料理を紹介した『料理早指南』を出版したことが知られており、当時の庶民の食生活を伝える資料として貴重である[4]

山東京伝の随筆『近世奇跡考』では、第五巻の英一蝶の伝記の内容をめぐる英一蜂との争論の際、京伝が版元である安兵衛へ相談し、刊行板を破棄して絶版としたことが記される[5]。安兵衛の最初の活動は宝暦2年(1752年)には確認されており、文化年間ごろまで続いた。地本問屋として、のちには書物問屋としても多様な出版物を手がけ、江戸後期の出版文化に重要な役割を果たした。

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脚注

参考文献

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