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大宮町 (静岡県)

日本の静岡県富士郡にあった町 ウィキペディアから

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大宮町(おおみやまち)は静岡県富士郡に存在していたである。現在の富士宮市の中心部にあたる。

概要 おおみやまち 大宮町, 廃止日 ...

来歴

  • 1889年(明治22年) 4月1日 - 大宮町が発足。
  • 1932年(昭和7年) 4月21日 - 大宮町大火。約1200戸焼失。約7500人が被災した[1]
  • 1942年(昭和17年) 6月1日 - 富丘村と合併し市制施行し富士宮市となる。県内で7番目の市制施行で、富士郡では初である。当時(市制施行以前)の大宮町の人口規模は約2万6000人とされ[2]、富士郡の中心地であった。

経済

産業

農業

『大日本篤農家名鑑』によれば大宮町の篤農家は、「菅沼正作、池谷佐平、塩川定次郎、塩川廣作、塩川乙吉、野村徳兵衛、都築泰輔、渡邊里次郎、石川勇平、山本正造、高野久吉、塩川忠平、菅沼與五郎、深澤健三郎、佐野徳次郎、篠原久次郎、角田大逸、三宅總七、角田雄五郎、望月重太郎、久保田福次郎、米山米作、山本寅次郎、鈴木今吉、大竹義道、大井忠義、土屋勝太郎、高瀬牧太郎、小池由兵衛、角田泰三」などである[3]

文化

かつては駿河国富士郡に属しており、主に富士山本宮浅間大社門前町としての顔を持つ。古より六斎市が行わる商業地であり、後に今川氏真により楽市令が発布された。

富士氏の根拠地でもあり、中世以降常に富士氏の影響下にあった地である。地理上駿河国と甲斐国を結ぶ地であり、中道往還が位置している。そのため、駿河と甲斐間での争いの際は、大宮は常に政治的緊張にあった。また、駿河から伊豆国へ至る街道を結ぶ場所でもあったため、宿場町としても栄えた。古より富士参詣の道者が来訪し、道者達は湧玉池で禊を行い水垢離を行ってから登拝を行った。

出身・ゆかりのある人物

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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