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大滝龍蔵

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大滝 龍蔵(大瀧 龍藏、おおたき りゅうぞう、1846年2月5日(弘化3年1月10日[1])- 1914年大正3年)1月8日[2][3])は、明治期の公吏実業家政治家衆議院議員、初代山形県米沢市長。

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大滝龍蔵

経歴

出羽国置賜郡米沢屋代町下ノ町[3]山形県[2]南置賜郡米沢屋代町下ノ町を経て現米沢市[4])で生まれた[3]

1873年(明治6年)置賜県学区取締・十三等出仕となる[2][4][5]。権少属、小属、権中属を歴任し[2][4][5]、1882年(明治15年)置賜県廃止となり失職した[5]。その後、沖縄県三等属に発令され[2][4][5]、租税課権勧業課長を務めた[3]。1883(明治16年)に退官[5]

その後実業界に転じ、米沢元商社副社長、同社長、米沢製糸場社長などを務めた[2][3][5]。1889年(明治22年)7月、初代米沢市長に就任し[2][3][4]、1899年(明治32年)7月まで2期在任[3]。この間、市役所の建設、市立工業学校の開校などを行った[3]。また、米沢市会議員、同参事会員にも在任した[2][4]。市長退任後、第百二十五銀行頭取に就任した[5]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(山形県米沢市、立憲政友会)で当選し[3][6]、衆議院議員に1期在任した[2][4]

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脚注

参考文献

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