トップQs
タイムライン
チャット
視点
米沢市
山形県の市 ウィキペディアから
Remove ads
置賜地方最大の都市で、人口は山形市・鶴岡市・酒田市に次いで県内4位。山形県置賜総合支庁の所在地で、上杉氏(米沢藩)の城下町として知られる。
Remove ads
地理
市域は南置賜郡の大半および東置賜郡の一部を加えた範囲に及ぶ。南部及び東部は広い山地に囲まれた盆地で、一般的には米沢盆地と呼ばれている。市南部は幾つもの川が刻まれ、尾根筋と谷筋が東西交互に並んだ複雑な地形である。明治時代まで米沢と会津を結ぶメインルートであった旧米沢街道は県境越えの桧原峠までの市内に船坂峠、綱木峠の2つの峠がある。南端の吾妻連峰一帯は磐梯朝日国立公園となっており、天元台スキー場がある。市街地は市の中北部にあり、最上川の西岸の米沢城址付近に集中している。

Remove ads
気候
要約
視点
寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、周辺の自治体と同様に特別豪雪地帯に指定されている。
冬季は、-15℃前後の気温が観測されることが珍しくなく、近年でも2012年2月1日に-17.0℃、2013年2月12日に-16.7℃、2013年2月26日に-16.6℃、2018年1月15日に-16.3℃を観測している。
夏季は、35℃を超える猛暑日となることもあるが、1日の気温差が大きく、熱帯夜となることは稀である。
- 極値[1]
Remove ads
歴史
要約
視点
旧出羽国南部にあり、鎌倉時代は長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となった。戦国時代(天文の乱の後)に伊達氏の本拠地となる。「独眼竜」こと伊達政宗は米沢城で生まれ、豊臣政権下で岩出山城(現在の宮城県大崎市)へ移封となるまで米沢を支配した。
関ヶ原の戦いで西軍が敗れた結果、会津地方を支配していた上杉景勝は徳川家康に降伏し、減封のうえ北隣の米沢へ移された(「上杉景勝#会津征伐」参照)。以後、江戸時代から明治の廃藩置県までは米沢藩上杉氏の城下町となった。上杉氏の旧本拠地春日山城があった上越市(新潟県西部)との関係が深い。豊臣政権下で上杉景勝が福島城下を領地にしていたことや、江戸時代に年貢米や物資の運搬のため米沢藩米蔵が福島城下に多く立ち並んでいたことから福島市との関係も深い。
年表
→江戸時代の米沢の歴史については米沢藩を参照
- 1871年(明治14年)8月29日:廃藩置県により、米沢が置賜県の県庁所在地となる。
- 1876年(明治19年)8月21日:置賜県が山形県に編入され、以後は山形県に属する。
- 1889年(明治22年)4月1日:市制を施行する。日本で最初に市制を施行した31市の中の一つである。
- 1899年(明治32年)5月15日:奥羽本線米沢駅が開業する。
- 1908年(明治41年)9月3日:市章を制定する[3]。
- 1917年(大正6年)5月22日:市内で大火。死者11人、2300戸が焼失[4]。
- 1957年(昭和32年)4月30日:「米沢市民歌」を制定。
- 1976年(昭和51年):財政再建団体の指定を受ける。1980年(昭和55年)解除。
- 1988年(昭和63年)3月2日:八谷鉱山が閉山する。
行政区域の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市制の施行により、南置賜郡米沢城下のうち123町[5]と、花沢村、福田村、外ノ内村および館山村、口田沢村、吹屋敷村、赤芝村、塩野村、片子村、三沢村、赤崩村、笹野村、遠山村の各一部の区域をもって成立。米沢城下の残部6町[6]は南原村の一部となる。
- 1953年(昭和28年)8月1日 - 南置賜郡上長井村を編入。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1998年(平成10年)1月6日 - 東置賜郡高畠町と境界変更。
- 2007年(平成19年)1月25日 - 東置賜郡高畠町と境界変更。
市域の変遷
明治22年4月1日の米沢市合併(館山村、口田沢村、吹屋敷村、赤芝村、塩野村、片子村、三沢村、赤崩村、笹野村、遠山村)の分については割愛する。
Remove ads
人口

- 置賜地方で最多の人口を擁している。
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
米沢市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 米沢市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 米沢市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
米沢市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
Remove ads
行政
要約
視点

市長
警察
消防
紋章
米沢市の「米」の字を図案化し、末広で構成したものである。制定は文献によっては1919年(大正8年)5月19日の米沢大火で米沢市役所を全焼し、文書等を類焼したために不詳であったが[3]、『都市の紋章:一名・自治体の徽章』では1908年(明治41年)9月3日に一般公募によって制定されたとされている[9]。
主な特別職の給料
- 別途、年2回期末手当あり
Remove ads
議会
市議会
→詳細は「米沢市議会」を参照
経済・産業
江戸時代から続く産業として、繊維産業が盛んで、米沢織(米織)とよばれる。米沢紬と呼ばれる紬も、周辺地域と合わせて生産される。明治時代には、米沢高等工業学校が置かれ、大正時代には、同学校教授秦逸三によって帝国人造絹絲株式会社(帝人の前身)が興った。後に、工場用地、用水の問題から米沢工場は廃止されている。1949年(昭和24年)、米沢高等工業学校は山形大学工学部と改組されるが、工学部は米沢キャンパスとして現在も米沢に拠点を置いている。
第一次産業
リンゴ(林檎)、米沢牛、食用の鯉を「米沢の味ABC」としてPRしている(下記参照)。伝統野菜として雪菜が栽培されている。雪国で冬でも育つ野菜として、米沢藩主上杉鷹山が栽培を奨励したと伝わる[12]。
米沢味のABC
米沢の特産品をわかりやすく宣伝するために考案された[13]。
第二次産業、第三次産業
工業出荷額は7331億円(2006年、経済産業省工業統計)で、東北地方4位(郡山市、いわき市、仙台市に次ぐ)。
観光業については後述。
主要企業
本社が米沢市
米沢市に工場・事業所が所在
金融機関
米沢市に本店・支店・出張所等の窓口を置く預貯金取扱金融機関は以下のとおり(2021年12月現在)。
- 括弧内は窓口事務所数(事務所数1の場合は省略) 山形銀行、荘内銀行、きらやか銀行のブランチインブランチは除く。
- 米沢市の指定金融機関は山形銀行である。
Remove ads
郵便
姉妹都市・提携都市
国内
参考: 姉妹都市の位置(米沢市サイト内)
海外
学校
米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいる。上杉家歴代の中でも家祖謙信と中興の祖鷹山は特に顕彰され、全小学校の講堂(体育館)には参考画像と同じ肖像画を掲げ、教育が行われる。また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とする。

- 大学・短期大学
- 山形大学米沢キャンパス(工学部)
- 山形県立米沢栄養大学
- 山形県立米沢女子短期大学
高等学校
→「山形県高等学校の廃校一覧 § 米沢市」も参照
中学校
→「山形県中学校の廃校一覧 § 米沢市」も参照
小学校
→「山形県小学校の廃校一覧 § 米沢市」も参照
Remove ads
交通
鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
バス
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
空港
※定期航空便は発着しない。旅客の利用が可能な最寄りの空港は山形空港。山形空港をはじめとする空港と米沢市内を直結する公共交通はない。
Remove ads
観光
観光客誘致に力を入れており、米沢出身または縁がある著名人に「おしょうしな観光大使」を委嘱している(「おしょうしな」は「ありがとう」を意味する米沢方言)[14]。
- ご当地ソング :『これぞ天下の上杉節』(門脇陸男)
- マスコットキャラクター:かねたん(直江兼続がモチーフ)
- ローカルヒーロー:YOZAN戦士アズマンジャー(戦隊ヒーロー。米沢の特産品「米沢の味ABC」[13]がモチーフ。
祭事
名所・観光地・遺跡・史跡
- 松が岬公園(米沢城址)
- 上杉伯爵邸
- 餐霞館遺跡(鷹山隠居後の住居)
- 上杉家廟所
- 林泉寺
- 西蓮寺
- 堂森善光寺
- 塩野毘沙門堂
- 普門院(国の史跡「上杉治憲敬師郊迎跡」)
- 白子神社(市内最古の神社)
- 成島八幡神社
- 米沢市上杉博物館(伝国の杜)
- 国宝『上杉本洛中洛外図屏風』
- 国宝上杉家文書
- 旧米沢高等工業学校本館

現山形大学工学部
- 米沢織物歴史資料館
- 米沢市営野球場(皆川球場)
- 米沢市営陸上競技場
- 米沢市営人工芝サッカーフィールド
- 米沢温泉郷
- 天元台高原スキー場

- 栗子国際スキー場
- 米沢スキー場
- 小野川温泉スキー場
- 遠山覚範寺跡(伊達政宗が父伊達輝宗を弔うため建てた寺跡)
- 直江石堤(直江兼続が米沢を洪水から守るために松川の現在の米沢市大字赤崩に築堤)
- 滑川大滝(日本の滝百選)
- 宮坂考古館
- 上杉城史苑
- 一ノ坂遺跡
- 古志田東遺跡
- 延徳寺遺跡
- 戸塚山古墳
- 白馬の騎士(天元台スキーの雪形)
- 草木塔
- 置賜民俗資料館
- 戦争資料館
- 笹野観音堂(置賜三十三箇所観音霊場19番札所[15])
参照:城下町ふらり歴史探訪
土産・名産品
悪臭問題
2008年(平成20年)12月、市南部の南原地区内の堆肥製造事業所と養豚事業所が原因とされる悪臭が市街地まで達し、多くの苦情が発生した[16]。このため、米沢市議会に特別委員会が設置された。
2014年(平成26年)3月時点で苦情はほぼない状態となっており、特別委員会では「解決まであと一歩」と報告されている[16]。しかし、隣接する住宅への悪臭はいまだ解決されていないため、現在は堆肥製造事業所の業態転換と養豚事業所の移転実現へ向けた市と県の支援と指導が続いている[16]。
著名な出身者
政官界
武士
軍人
財界
学界
報道
文化
その他
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads