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大炊御門経久
江戸時代中期から後期の公卿 ウィキペディアから
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大炊御門 経久(おおいのみかど つねひさ)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿。右大臣・大炊御門家孝の子。官位は従一位・右大臣。大炊御門家25代当主。光格天皇(119代)・仁孝天皇(120代)・孝明天皇(121代)の三朝に亘り仕えた。
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経歴
天明2年(1782年)に叙爵してから清華家当主として早いスピードで昇進し、侍従・右近衛権少将/権中将などを歴任し、寛政元年(1789年)に従三位となり、公卿に列する。その後も権中納言、権大納言、踏歌節会外弁・内弁を経て、文政4年(1821年)には右近衛大将・右馬寮御監となる。文政7年(1824年)に従一位・内大臣となるも同年辞職。その後長く政界を離れていたが、安政4年(1857年)に右大臣に就任している。
系譜
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