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大牟礼南島
日本の洋画家 ウィキペディアから
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大牟礼 南島(おおむれ なんとう、1876年 - 1935年)は、日本の洋画家。大牟礼 南塘とも表記される。本名・時艾(ときはる)。鹿児島洋画壇の祖といわれている。
人物
種子島の現西之表市出身。中学造士館卒業後、大阪を経て上京し、東京美術学校西洋画科に入学。黒田清輝に師事し、1900年に卒業して鹿児島県に戻る。鹿児島市の西本願寺前にアトリエを開設。アトリエで公開制作をしたり、春田屋呉服店のショーウインドウに大きなロマン主義美人画を飾ったりと衆目を集め、また確認しうる鹿児島最古の洋画団体「青蛙会」を結成した。
1911年から1930年の約20年間にわたり鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)で美術教員を務め、多くの後進を育成した。鹿児島二中での主な教え子に谷口午二、安達真太郎、安藤照、八島太郎(岩松淳、旧名:岩松惇)、小倉静三、坂元盛愛、加藤久幹(旧名:島津久幹)、黒田清文・黒田清徳兄弟[1]、佐川源治[2](旧名:迫田鉄次郎[3])らがいる。二中では日常的な奇行が有名で、頭でっかちのため「ビンタさあ」[4]というあだ名がついていた。晩年は西洋画だけでなく水墨画もよくした。
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作品
脚注
出典
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