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大矢野種基

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大矢野 種基(おおやの たねもと)は、安土桃山時代にかけての武将キリシタン大矢野氏11代当主。肥後国大矢野城主。

概要 凡例大矢野種基, 時代 ...

略歴

大矢野氏は肥後天草諸島国人衆である天草五人衆の一氏。

大矢野種光(鎮通)の子として誕生。宇土の国人・名和顕孝の娘を室とする。剣豪・丸目長恵が一時身を寄せていたともいわれている。

天正15年(1587年)、室と共に受洗した。また、同年天草五人衆と共に豊臣秀吉九州平定の際に臣従し、本領を安堵された。天正17年(1589年)に小西行長宇土城での城普請の要求を、志岐鎮経天草種元ら天草五人衆と共に拒否し反乱を起こした(天草国人一揆)。しかし、行長や援軍に来た加藤清正に鎮圧され、領地を没収された。

その後、小西行長に臣従。文禄・慶長の役では子・種量らと共に小西軍として従軍したが順天城の戦いで戦死した。

家臣

  • 合津山城守 ― 大矢野氏の一族で、種基の親類。重臣(代官、本山住)。洗礼名ペイトロ。[3]
  • 安芸守 ー 重臣(代官、大矢野住)。洗礼名ジョアン。[3]
  • 岩屋高正(五郎)
  • 沛下直貞(源八郎)
  • 原田種清(六郎)

脚注

出典

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