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大石主税良金ら十士切腹の地
東京都港区三田にある史跡 ウィキペディアから
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大石主税良金ら十士切腹の地(おおいし ちから よしかねら じっし せっぷくの ち)は東京都港区三田二丁目にある史跡。かつて伊予松山藩の中屋敷だった。現在は駐日イタリア大使館となっている。

赤穂浪士
預けられた赤穂浪士10名
- 大石主税(良金)
- 堀部安兵衛(武庸)
- 木村岡右衛門(貞行)
- 中村勘助(正辰)
- 菅谷半之丞(政利)
- 千馬三郎兵衛(光忠)
- 不破数右衛門(正種)
- 大高源吾(忠雄)
- 貝賀弥左衛門(友信)
- 岡野金右衛門(包秀)
元禄16年(1703年)2月4日に江戸幕府の命により上記の赤穂浪士が切腹した地で、久松松平家は赤穂浪士を冷遇したと伝わるが[1]異説もある。 松山藩の屋敷跡には赤穂事件の遺構は残っていなかったが、昭和14年(1939年)に徳富蘇峰が揮毫の「赤穂浪士十名切腹ノ地・伊太利大使館」碑[2][3]が当時の駐日イタリア大使によって大使館敷地内に建立された。
敷地内のため立ち入りはできず[4]、国際情勢に伴う在外公館の警備強化の方針で、見学不可。「赤穂民報」によると数年に一度は供養の行事を行っているという[5]。
赤穂浪士終焉の地
四十六士がお預けとなった4藩の藩邸は、いずれも今日の東京都港区にある。
脚注
関連項目
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