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大神社 (一宮市)

一宮市にある神社 ウィキペディアから

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大神社(おおじんじゃ)は、愛知県一宮市大和町於保(おほ)にある神社式内社名神大社)で、旧社格村社

概要 大神社, 所在地 ...
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鳥居

祭神

祭神は次の1柱。

相殿に八王子を配祀するとする史料もあるが、これは当社が近世に「天王社」と称していたことに由来するという[1]

歴史

概史

創建は不詳。社名・地名に見えるように、当地に住んだ多氏(おおうじ)一族がその氏神として祖神の神八井耳命を祀ったといわれる[1]。この多氏は大和国十市郡飫富郷(現・奈良県磯城郡田原本町)付近を根拠とした古代氏族で、同地には氏神の多坐弥志理都比古神社(多神社とも。式内名神大社)が鎮座する。

国史では、仁寿3年(853年)に「多天神」が名神に列したと見えるほか、同年に多天神に従五位上の神階が授けられたと見え、また元慶元年(877年)に「多名神」が正五位上に昇叙されたとある[1][2]

また延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では尾張国中島郡に「太神社 名神大」と記載され、名神大社に列している[1]。写本によってその社名は「太神神社」「大神神社」とも記されるが、その場合の「神」の1字は衍字とされる[1]。『延喜式』臨時祭 名神祭条においては、「太神社一座 或太作多」として「多神社」とも作る旨が記されている。古くから当地には地名として「於保(おほ)」が残ることに基づき、これらの記載の神社は当社にあたるとされる[1]。なお『和名抄』に見える郷名のうちでは、当地は中島郡川埼郷に比定される[1]

その後の経緯は詳らかでなく、氏人が散亡したことにより荒廃し、近世には「天王社」と称されていたという[1]

明治維新後、近代社格制度において村社に列した[1]。現在、宮司は一宮市内の大神神社ほか複数の神社の宮司を兼務する。

神階

六国史時代における神階奉叙の記録
六国史以後
  • 従一位[3]または正二位上[4] (『尾張国内神名帳』) - 表記は「於保名神」。位階は写本により異同がある。
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脚注

参考文献

外部リンク

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