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大藤村 (山梨県)

日本の山梨県東山梨郡にあった村 ウィキペディアから

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大藤村(おおふじむら)は山梨県東山梨郡にあった。現在の甲州市北西部、中央本線塩山駅の北東一帯にあたる。

概要 おおふじむら 大藤村, 廃止日 ...

地理

四方を山に囲まれていて、わずかに平野が有り、生糸葡萄を産していた。煙草を産したこともある。川があるも水利なく、交通の便も非常に悪かった[1]。村の北側は、東の大菩薩嶺に向かって傾斜が有った。南西側には、牛奥村との境となる源次郎岳がある。

歴史

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

寺院

神社

観光スポット

  • 塩山桃源郷

祭事・催事

  • 1月14日 どんど焼き
  • 8月 納涼祭
  • 10月 農協祭り

公共施設

  • 甲州市立大藤小学校
  • 甲州市立塩山北中学校
  • 大藤公民館
  • 大藤診療所

交通

道路

樋口一葉との関係

大藤村の中萩原は樋口一葉の両親の出身地である。まだその地域が中萩原村と呼ばれていた1830年(天保元年)に、父・則義は同村の十郎原で百姓の樋口八左衛門の長男として、4歳下の母・あやめ(滝子)も同村青南で古屋安兵衛の娘として生まれた。

則義の父・八左衛門は1852年(嘉永5年)に水争いの解決のために老中阿部伊勢守(阿部正弘)に駕籠訴訟を起こして投獄されたことがあり、それが理由であやめの両親が則義との結婚に反対したが、すでにあやめが身重であったため、1857年(安政4年)に二人は村をあとにし、江戸で幕府直参の武士に出世していた同郷の真下専之丞(晩菘)を頼って駆け落ちした[2]。一葉は二人の次女として生まれた。慈雲寺には、一葉と真下晩菘の記念碑がある。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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