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大野篤史

日本のバスケットボール指導者 (1977-) ウィキペディアから

大野篤史
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大野 篤史(おおの あつし、1977年昭和52年〉8月12日 - )は、日本の元バスケットボール選手で現在は指導者。石川県出身。現役時代のポジションはシューティングガード/スモールフォワードB.LEAGUE三遠ネオフェニックスでヘッドコーチを務めている。

概要 三遠ネオフェニックス HC, ポジション ...
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現役時代(パナソニック)
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来歴

野々市町立布水中学校(現野々市市立布水中)出身[2]。1992年、中学3年時に全国中学校バスケットボール大会初優勝に貢献した[3]

1993年、愛知県愛工大名電高校へ越境入学する[2]。1年先輩に岩田淳、2年後輩に松藤貴秋、またバレーボール選手の北川祐介は同期にあたる。1年時はインターハイ3位、2年時は国体準優勝、ウィンターカップでは高校3年時の4位が最高位だった[3]。1995年高校3年時にU-18日本代表としてアジアジュニア選手権出場[3]

1996年、日本体育大学に進学、日体大バスケ部に所属する[2]。1年先輩に仲村直人、同期に藤本浩太郎篠原隆史堀田剛司鈴木裕紀、2年後輩に木下博之がいる。1年時から試合出場を重ね、インカレおよび関東大学リーグ4連覇の原動力となり[2][3]、4年時にはキャプテンも務めた。インカレでは、MIP1回(1999) ・得点王2回(1997/1998)・3ポイント王1回(1997)・アシスト王1回(1998)受賞[3]。1997年大学2年時にユニバ代表に選ばれシチリア大会に出場している[3]

2000年、三菱電機メルコドルフィンズに入団する[3]JBLプレスーパーリーグとなったこのシーズンにおいてJBL初代新人王を獲得し[4]JBLスーパーリーグ 2006-07にはチーム初のPOファイナル進出に貢献している[2][3]。2001年から日本代表メンバーに選ばれ、アジア選手権2002年アジア競技大会2006年アジア競技大会などに出場している[2][3]

2007年、パナソニックトライアンズへ移籍する[2][3]JBL 2010-11シーズン途中に現役引退し、清水良規HCの下、アシスタントコーチに就任する[3][5]JBL 2012-13シーズンには清水の体調不良により6試合HC代行を務めた[3]。同シーズン終了後チームは休部。

2014年、佐古賢一HCの下、NBLに参加する広島ドラゴンフライズのアシスタントコーチに就任[3]

2016年、千葉ジェッツヘッドコーチに就任[6]。2020-21シーズンにはBリーグ初優勝に貢献する。2022年6月に千葉ジェッツを退団(契約解除)し、同年7月から三遠ネオフェニックスのヘッドコーチに就任した。

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個人記録

JBL
  • 2000-01 JBL新人王
日本代表
  • 2002アジア競技大会
  • 2006アジア競技大会

脚注

関連項目

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