トップQs
タイムライン
チャット
視点
大須賀一誠
日本の政治家 ウィキペディアから
Remove ads
大須賀 一誠(おおすか いっせい、1948年9月16日 - 2018年4月4日)は、日本の政治家。愛知県幸田町長(2期)を務めた。
経歴
1948年(昭和23年)9月16日に生まれ[1]、国鉄関連の鉄道保安会社に勤めながら明治学院大学を卒業した[2]。公務員となる前には民間企業に6年間勤務している[3]。1975年(昭和50年)に幸田町に採用されて町職員となり[2]、総務課長や福祉部長を歴任した[4]。2006年(平成18年)には総務部長から助役に就任し[4][5]、2007年(平成19年)に改正地方自治法が施行されると副町長に移行した[5]。
2010年(平成22年)に近藤徳光町長が3期目終了後の引退を表明すると[5]、近藤は大須賀を後継者に指名した[1]。8月22日には幸田町長選挙が行われ、元副町長の大須賀と元町議会議長の笹野康男が出馬[1][6]。大須賀は9,680票を獲得し、7,258票を獲得した笹野を破って幸田町長に就任した[1]。
2014年7月29日には幸田町長選挙が告示されたが、大須賀のほかに立候補の届けはなく、無投票で再選が決定した[7][8][9]。2017年(平成29年)6月17日には愛知県町村会会長に就任した[10]。また、全国町村会副会長にも就任している。深溝地区を発祥地とする深溝松平家が島原藩主を務めた縁により、2017年(平成29年)10月には長崎県島原市と姉妹都市提携を行った[11]。2017年(平成29年)12月には幸田町で全国で初めて自動運転車「レベル4」実証実験が行われた[12]。大須賀町長自らが実証実験の誘致に関わり、幸田町には全国からの注目が集まった[11]。
前々任者の大浦猶之町長の任期中には、幸田町民会館や幸田町立図書館などを含むハッピネス・ヒル・幸田が整備されている。大須賀はこれらの公共事業などで増えた借金を36億3000万円減らすなど、2期8年間の任期中には財政健全化に取り組んだ[7]。さらに幸田町の人口増加に対する基盤整備を進め、任期中には小学校2校で校舎を増築し、2018年(平成30年)4月1日には多世代交流施設「豊坂ほっと館」を開館させた[7]。2018年(平成30年)3月の定例町議会では、同年8月の幸田町長選挙に出馬する意向を示していたが、3月25日に腹痛を訴えて岡崎市民病院に入院し、4月4日に胸部大動脈瘤のために死去した[13][7][14][15]。なお、後任の町長には前副町長の成瀬敦が無投票で当選した。死後の2018年(平成30年)7月には旭日双光章が授与された[16]。
Remove ads
人物
趣味はクラシックカメラ収集であり、100点以上のコレクションがある[2]。明治学院大学時代には山岳部に所属し、谷川岳など日本各地の山を巡ったことで[2]、山岳写真の撮影を趣味としている[3]。次男には障害があるため[2]、介護や子育てなどへの関心が強い。座右の銘は老子の「曲なれば即ち全し」[2]。
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads