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天童寺

中国の寺院 ウィキペディアから

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天童寺(てんどうじ)は、「天童禅寺」とも呼ばれ、「東南佛国」とも称される、著名な禅宗の寺院である。禅宗五山の第二に列されている。浙江省寧波市鄞州区にあり、太白山の麓に位置し、山に依り、水に臨む、勝景の地にある。天童寺と日本の仏教の関係は深く、日本の曹洞宗の開祖・道元が学んだ寺である。

概要 天童寺, 基本情報 ...

1983年、国務院は、漢族地区仏教全国重点地域に指定している。

2006年には、国家重要文物保護単位となった。

歴史

天童寺は、西晋永康元年(300年)に創建された。遊行僧義興が建てたと言われている。

東晋隆安3年(399年)、孫恩の乱により焼失した。

唐朝の初年、現在の位置に移った。

乾元2年(759年)、粛宗から「天童玲瓏寺」の名を賜った。

咸通10年(869年)、懿宗から「天寿寺」の名を賜った。

北宋景徳4年(1007年)、真宗から「天童景徳禅寺」の額を賜った。

南宋建炎3年(1129年)、正覚禅師が住職になった。

紹興4年(1134年)、東南の第一大殿を増築した。

淳熙5年(1178年)、孝宗から「太白名山」の四字を賜った。

嘉定年間、天童寺は、「禅院五山十刹」の第三山に列せられた。

宝慶元年(1225年)、曹洞宗第十三祖の如浄禅師が住職になった。ちょうど、日本から道元が来朝しており、天童寺で修行していた。帰国後、日本で曹洞宗を開いた。

太祖は天下名寺を冊封し、天童禅寺を天下禅宗五山の第二山に列した。

万暦15年(1587年7月21日、大雨と洪水によりことごとく破壊され、礎石や瓦礫すら残らない有様であった[1]

雍正帝から、「慈雲密布」の扁額を賜った。

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文化

北宋の慶暦7年(1047年)11月、王安石は、「遊天童寺」の詩を作った。

村村桑拓緑浮空、

春日鶯啼谷口風。

二十里松行欲盡、

青山捧出梵王宮。[2]

ギャラリー

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天王殿
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韋駄殿
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山門

参考文献

外部リンク

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