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姉小路済俊
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姉小路 済俊(あねがこうじ なるとし/なりとし)は、戦国時代の公家・大名。飛騨国司。姉小路家当主。
生涯
永正9年(1512年)、従五位下に叙爵し、永正12年(1515年)に侍従に任ぜられる。
永正15年(1518年)5月、父・済継が没すると家督を継いで飛騨国司となり、大永元年(1521年)左近衛少将、大永2年(1522年)正五位下に叙任されるが、この頃には既に家臣の三木家が台頭し始めていた。
大永7年(1527年)7月12日、卒去。享年22。戦国大名としては目立った戦果は挙げられなかったものの、生没年のほぼ正確な記録が残っている。
済俊没後は、弟・田向重継(高綱?)が家督を継承するもかつての勢いはなく、江馬時盛や三木直頼らの台頭を抑えきれず、姉小路氏は三木氏と同化していった。
官歴
『諸家伝』による。
系譜
『系図纂要』による。
脚注
出典
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