トップQs
タイムライン
チャット
視点
安倍川
静岡市の川 ウィキペディアから
Remove ads
安倍川(あべかわ)は、静岡県静岡市葵区および駿河区を流れる河川。一級水系安倍川の本流である。清流としても有名で[1]、その伏流水は静岡市の水道水にも使われている。大河川でありながら河川長は53.3㎞と短く、また本流・支流にひとつも河川法上のダムがない珍しい川である[2]。


「安部川」や「あべがわ」の表記もあるが、これらは誤りである。
安倍川のたもとで売られている名物に「安倍川もち」があるが、地元以外では餅にきな粉をまぶして食べる食べ方を単に「あべかわ」と呼ぶことがある。
Remove ads
地理
静岡県と山梨県の境にある、大谷嶺・八紘嶺・安倍峠に源を発する。源流の大谷嶺(標高約2,000m)の斜面は「大谷崩れ(おおやくずれ)」とよばれ、長野県の稗田山崩れ、富山県の鳶山崩れとともに日本三大崩とされている。
流域のすべてが静岡市内であり、下流部の藁科川と合流する付近では「舟山」という川中島が見られ、市街地の西側を流れて駿河湾に注ぐ。
糸魚川静岡構造線が近くを通っており、当河川付近に、東西で地質構造が大きく異なる境界もある。2019年現在、川下での釣り行為は禁止されている。
語源
語源については諸説がある[3]。
歴史
1335年 - 南北朝時代、足利尊氏と新田義貞が争った手越河原の戦いが起きる。府中宿安倍川 歌川広重 江戸期の旅人たちは人足の手を借りて川を渡った。 - 江戸時代初頭 - 徳川家康によって天下普請として大規模な治水工事が行なわれ、現在の流れとなる。それ以前は、藁科川とは別の流れで複数の川筋となって駿河湾に注いでいたが、大規模な治水工事によって、藁科川と合流するようになった。
安倍川の文化
江戸時代には、防衛上の理由から橋の架設が認められなかった。それゆえ旅行者は、川の往来には渡し船や川渡し人足の肩車や輦台に乗らなければならなかった[12]。この渡しの様子は当時から絵画や文学の題材になっており、『東海道中膝栗毛』にも登場している。
川ごしの 肩車にて われわれを ふかいところへ ひきまはしたり — 北八、『東海道中膝栗毛[13]』
主な支流

一級河川のみを下流側から順に記載する[14][15][16]。
Remove ads
主な橋梁


- 平野橋 - 静岡県道29号梅ケ島温泉昭和線
- 玉機橋 - 静岡県道27号井川湖御幸線
- 竜西橋 - 静岡県道29号梅ケ島温泉昭和線
- 曙橋 - 静岡県道27号井川湖御幸線
- 安倍川橋 - 新東名高速道路(葵大橋との二層構造で上段)
- 葵大橋 - 静岡県道27号井川湖御幸線(新東名の安倍川橋との二層構造で下段)
- 狩野橋 - 静岡県道205号大川静岡線
- 安倍川大橋 - 国道1号静清バイパス
- 安西橋 - 国道362号
- 安倍川橋 - 静岡県道208号藤枝静岡線
- 駿河大橋 - 国道1号
- 安倍川橋 - 東海道本線
- 安倍川橋 - 東海道新幹線
- 静岡大橋 - 市道丸子池田線
- 安倍川橋 - 東名高速道路
- 南安倍川橋 - 国道150号
脚注
関連項目
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads