トップQs
タイムライン
チャット
視点
薩摩土手
静岡県静岡市葵区にある江戸時代初期の堤防。 ウィキペディアから
Remove ads
薩摩土手(さつまどて)、または駿府御囲堤(すんぷおかこいづつみ)は、静岡県静岡市葵区にある江戸時代初期の堤防。

名に「薩摩」とあるように、築堤に薩摩藩が関わったとする伝承があるが、それを裏付ける確実な証拠は見つかっていない。

概要
征夷大将軍職を嫡男の徳川秀忠に譲り大御所となった家康が、1606年(慶長11年)ころから開始した駿府城拡張や安倍川治水工事(天下普請)の一環として造られた堤防である。本線となる堤防から枝状の支堤防がいくつか伸びる形状が、雁の飛翔する様に似ることから「雁行性(がんこうせい)堰堤」と呼ばれる[1]。
地元では、薩摩藩主・島津忠恒により大量に運び込まれた石材・木材を用いて築堤されたと伝わり「薩摩土手」として親しまれているが[2]、工事に島津家が関与した事実は立証されていないという[3]。
賤機山西側山麓、井宮(いのみや)妙見神社の山裾から南西方向に造られている。高さ約5.4メートル、全長約4キロメートルを測り、下流の駿河区中野新田(東名高速静岡ICの北側付近)まで続いていた。下流区間の約1.3キロメートルは堤としては残っておらず「さつま通り」(静岡県道354号静岡環状線の一部)となっているが、上流区間は残り、今も予備的な堤防として機能している[3]。
Remove ads
脚注
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads