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安定郡

甘粛省に存在した郡 ウィキペディアから

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安定郡(あんてい-ぐん)は、中国にかつて存在した。現在の寧夏回族自治区中南部及び甘粛省平涼市白銀市及び鎮原県一帯に相当する。

漢代

前114年元鼎3年)、漢朝により北地郡より分割して設置された。郡治は高平県に置かれ、涼州刺史部の管轄とされた。漢代の管轄県については下表を参照。

さらに見る 漢朝の行政区画変遷, 『漢書』地理志 ...

魏晋南北朝時代

のとき、安定郡は、臨涇・朝那・烏氏・都盧・鶉觚・陰密・西川の7県を管轄した[1]北魏のとき、安定郡は涇州に属し、安定・臨涇・朝那・烏氏・石堂の5県を管轄した[2]北周の時代には、安定郡の管轄県は安定・烏枝・臨涇・撫夷の4県まで縮小していたが、更に烏枝・臨涇・撫夷の3県が廃止となり、管轄県は安定県の1県のみとなった。

さらに見る 魏晋南北朝時代の行政区画変遷, 『晋書』地理志 ...

隋代

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、安定郡は涇州と改められた。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、涇州は安定郡と改称された。安定・鶉觚陰盤朝那良原湫谷華亭の7県を管轄した[3]

唐代

618年武徳元年)、薛仁杲を平定すると、安定郡は涇州と改められた。742年天宝元年)、涇州は安定郡と改称された。756年至徳元載)、安定郡は保定郡と改称され、安定郡の呼称は姿を消した。758年乾元元年)、保定郡は涇州と改称された[4]

脚注

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