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安藤信成
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安藤 信成(あんどう のぶなり)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。美濃国加納藩の第3代藩主、陸奥国磐城平藩の初代藩主。官位は従四位下・対馬守、侍従。対馬守系安藤家6代。江戸幕府の寺社奉行、若年寄、老中を歴任した。
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生涯
先代の加納藩主・安藤信尹の次男として誕生した。父の信尹は、乱行が原因で隠居を命じられ、宝暦5年(1755年)に信成が家督を継ぐことになった(安藤騒動)。懲罰の意味もあって、安藤家は間もなく加納6万5000石より磐城平5万石に減転封させられた。
その後、幕府内では寺社奉行、若年寄を経て、寛政5年(1793年)に老中に就任した。在任中の功績に免じ、没収されていた美濃領のうち1万7000石を加増され、都合6万7000石となる。
藩政として注目すべき点は、磐城平に入封後、藩校・施政堂を城下の八幡小路に創設した点である。ここでは漢学、四書五経、国語、小学、通鑑、習字を始め、兵法・洋学が教育された。文化7年(1810年)死去した。長男の信厚を廃嫡し、次男の重馨に家督を継がせた。
略歴
系譜
父母
- 安藤信尹(実父)
正室
- 松平武元の娘
子女
関連項目
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