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宗方熈

対馬府中藩7代藩主 ウィキペディアから

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宗 方熈(そう みちひろ)は、対馬国府中藩7代藩主。歴代藩主の中で唯一「義」(宗氏通字)が名前につかない人物であるが、「方」の字は兄・義方(第5代藩主)からの偏諱である。

概要 凡例宗方熈, 時代 ...

生涯

元禄9年(1696年)9月27日、第3代藩主・宗義真の九男として生まれる。はじめ臣下の樋口真連(さねつら)の婿養子となり、樋口方熈(主馬)と称した。しかし享保15年(1730年)11月に兄で第6代藩主の義誠が死去したため、その養子となり、享保16年(1731年)2月21日に家督を相続する(この時も特に改名していない)。4月に従四位下、侍従・対馬守に叙位・任官した。

しかし、方熈は義誠の嫡男・義如が成長するまでのつなぎ的な存在だったため、享保16年(1732年)に義如が17歳になったことを契機として、9月11日に家督を義如に譲って隠居した。このとき、民部大輔に遷任する。

宝暦9年(1759年)11月29日、対馬府中で死去した。享年64。樋口家は義如から偏諱を受けた長男・如連(ゆきつら)が相続した。

系譜

  • 父:宗義真(1639-1702)
  • 母:慈眼院 - 庄司勘左衛門の娘
  • 養父:宗義誠(1692-1730)
  • 正室:普照院 - 樋口真連の娘
    • 長男:樋口如連
  • 側室:古賀九郎左衛門の娘
    • 次男:高瀬蕃常
    • 女子:与曽 - 難波宗城
  • 養子
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