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宗藤尚三
廣瀬 ウィキペディアから
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宗藤 尚三(むねとう しょうぞう[1][2]、1927年(昭和2年)8月18日[3] - 2016年(平成28年)10月30日[1])は、日本の随筆家であり、牧師、教育者、被爆者でもある。倉田百三の甥。
広島市内にて、アメリカによる原子爆弾の爆心地から約1kmの至近距離で被爆。生死をさまようも89歳の長寿を全うした。一般市民をも標的にした原爆投下について、被爆者としては珍しくアメリカに恨みを持つのではなく、軍事主義であった日本国の責任もあると語った。中立の立場から平和について語り、多くの書籍を出版した。死の境目であった己が生かされていることを神に感謝し、宗教学者として様々な宗教への関わりや知識がある。
被爆の後に広島大学中退、東京神学大学大学院修了。サンフランシスコ神学大学大学院修了。日本基督教団金城教会牧師・同明星幼稚園園長、阿佐ヶ谷東教会牧師・同阿佐ヶ谷幼稚園園長、広島府中教会牧師、同こばと幼稚園園長。1999年引退。引退後も、日本基督教団牧師、広島宗教者九条の会の和代表世話人、日本宗教者平和協議会常任理事、さよなら原発ヒロシマの会運営委員を務めていた。
また、広島東洋カープ創設時からのファンである。
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略歴・人物
1927年、広島市中区に生まれる。父は宗藤中、母は倉田百三の妹でもある宗藤重子。
1945年8月6日、広島に原爆が投下される。このとき自宅は爆心地から1300メートルの至近距離で被爆。その後、似島に運ばれる。
2016年10月30日、午後1時40分、急性肺炎のため広島市の広島市立安佐市民病院で死去した。89歳。
著書
出典
参考文献
外部リンク
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