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宮下文書
日本の宮下家に伝来した古記録・古文書の総称 ウィキペディアから
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宮下文書(みやしたもんじょ)とは、富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見(旧南都留郡明見村)にある北東本宮小室浅間神社(旧称・阿曽谷宮守神社)の宮司家だった宮下家に伝来した古記録・古文書の総称[1]。「富士宮下文書」「富士古文書」「富士古文献」、また相模国の寒川神社に保管されていたと書かれていることから「寒川文書」[2]「寒川日記」[3][4]などとも称される。
概要
歴史
偽書
- 神武天皇が現れるはるか以前の超古代、富士山麓に勃興したとされる「富士高天原王朝」に関する伝承を含み、その中核部分は中国・秦から渡来した徐福が筆録したと伝えられている[1]。だが、その信憑性については疑いがもたれており、偽書や、いわゆる古史古伝の代表例に挙げられる[1]。
- 2007年に石川博が発表した「俗文学」『山梨県史―通史編4 近世2』では、宮下文書について文体は漢語と万葉仮名を併用した記紀風のもので、筆者・成立事情は不明とされている[8]。助詞の用例や発音など言語的特徴から幕末期の成立であるとも考えられている[9]。
- 伊集院卿が2014年に出版した『富士王朝の謎と宮下文書: 日本一の霊峰に存在した幻の超古代文明に迫る!!』では、徐福がインドに行って仏教を学んだ、などという歴史的には考えにくい、誇張的な伝承も含まれていて、偽書批判は完全にかわすことはできない、と述べられている[10]。
- 2017年に神奈川徐福研究会定例会の伊藤健二が発表した『富士古文献(宮下文書)概要と真贋問題』では、「これが本当に徐福が書いた文章そのものであると考える者 は、富士古文献を支持する研究者も含めて現在ほとんどいない。理由は文体が現代文に近いし、書かれている内容も近代の知識が入り込んでいるからだ」、『使われている言葉や動詞や文法などが近代のものであるため、 学術研究の対象とはならないが、「偽書学」の立場では学術研究がなされている。なお、「偽書学」とは、偽書であることを暴くのが目的ではなく、偽書が存在するという歴史 的事実を受け止め、それがどのような精神世界を体現したものなのかがなどの背景の研究を目的としている 』と述べられている[1]。
- 2017年に出版された『偽史と奇書が描くトンデモ日本史』では、「(宮下文書に登場する)木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が富士の火口に飛び込んで富士山の不護身となる、という印象的なエピソードについても、木花咲耶姫が富士山の神とみなされるようになったのは江戸時代初期からであり、このことからも、文書は近世以降に成立したものであるという見方が強い」と述べられている[11]。
宗教
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構成
以下の構成は『神皇記』による。
- 第一編 神皇之巻 神皇
- 第一章 総説
- 第二章 前紀 神祇
- 第三章 正紀 神皇
- 第四章 後紀 人皇
- 第二編 神宮之巻 神皇即位所
- 第一章 総説
- 第二章 阿祖山太神宮
- 第三章 余論
- 第三編 宮司之巻 神皇書保存者
- 第一章 緒言
- 第二章 神皇書保存大宮司(正篇)
- 第三章 神皇書複写保存大宮司(続篇)
- 第四編 徐福之巻 神皇書記録者
- 第一章 上篇 秦徐福
- 第二章 下篇 神皇書
- 附録系譜
- 附録図面
- 第一章 神代全国略図
- 第二章 高天原附近略図
- 第三章 高天原実景古図
脚注
書誌情報
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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