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宮中野古墳群
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宮中野古墳群(きゅうちゅうのこふんぐん)は茨城県鹿嶋市大字宮中(きゅうちゅう)にある4世紀末から7世紀前半の古墳群。北浦に面した台地にあって、茨城県内最大級の規模をもつ[1]。
概要
宮中野古墳群は、現在前方後円墳19基、帆立貝式古墳2基、方墳3基、円墳103基で総数127基が数えられていて(ただし幾つかは消滅)[2]、北浦対岸の潮来市にある大生古墳群を越える規模である。このうち夫婦塚古墳は、2つの陪塚とともに鹿嶋市指定の史跡である[3]。
現在の霞ヶ浦・北浦と利根川沿いの低地部分は、かつて香取海と呼ばれた内海で、沿岸には宮中野・大生古墳群以外にも多くの古墳(群)が築かれていた。これらの古墳は、この地の首長が、香取海を通る船に対してその権威を誇るために築造したとされている[1]。
主な古墳
- お伊勢山古墳(23号墳):前方後円墳。全長96メートル。4世紀[5]。
- 夫婦塚古墳(73号墳):前方後円墳。全長107.5メートル。6世紀中頃-後半頃。
- 大塚古墳(114号墳):帆立貝式古墳。全長92メートル。7世紀前半。別名・勅使塚古墳、宮中野大塚古墳[6][7]。
- 大塚古墳出土品
鹿嶋市どきどきセンター展示。
脚注
参考サイト
参考図書
関連項目
外部リンク
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