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宮北敏夫
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宮北 敏夫(みやきた としお、1897年5月7日[1] - 1982年12月10日[2])は、日本の土木工学・衛生工学者。大阪工業大学第3代学長・名誉教授、摂南大学初代学長。工学博士(京都大学)。土木学会関西地区元評議員[3]。大阪市水道部元技術課長。
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略歴
兵庫県出身[1]。1921年京都帝国大学理工科大学土木工学科第三講座卒業。大阪市の技手として水道局に勤務し、1938年大阪市水道部技術課長。1946年に退職して摂南工業専門学校講師となり、1948年より大阪大学工学部講師を兼任、1949年大阪工業大学工学部土木工学科教授[1]。1958年工学博士(京都大学)。その後、1959年から1963年まで大阪工業大学学長。1968年大阪工業大学名誉教授。1975年から1977年まで摂南大学の初代学長を務めた[4]。
大阪工業大学工学部土木工学科にて教鞭を執り、同大学学長を務めるなど川島普と共に、大学初期の土木工学・衛生工学(のちの環境工学)の研究推進・育成に貢献した。
主な所属学会は、土木学会、日本水道協会、日本水処理技術研究会、日本下水道協会、環境技術学会、日本地球化学会など。主な受賞は日本水道協会優秀論文賞(1953年)[5]、勲三等瑞宝章(1967年)[6]。主な著書は、沈殿の理論と実際(単著、大阪水道工業会1959、学術書)。
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主な研究
脚注
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