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宮地昭範
日本の政治家、労働運動家 ウィキペディアから
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宮地 昭範(みやじ あきのり、1948年(昭和23年)7月28日[1] - )は、日本の政治家、労働運動家。元岡山県津山市長(2期)。
来歴
久米郡柵原町(現美咲町)出身[2]。1967年(昭和42年)3月、岡山県立津山商業高等学校卒業。高校では野球部に在籍し、2年生のとき投手で県大会で優勝した経験を持つ[3]。同年5月、津山市役所に採用される[4]。1984年(昭和59年)から市職員労働組合副委員長、1992年(平成4年)から全日本自治団体労働組合県本部副委員長をそれぞれ2年間務めるなど「組合の闘士」として鳴らした[3]。
2005年(平成17年)4月、環境生活部次長に就任。2009年(平成21年)3月、津山市役所を退職。
2010年(平成22年)2月21日に行われた津山市長選挙に出馬。現職の桑山博之との一騎打ちを制し初当選した(宮地:27,198票、桑山:21,063票)。投票率は56.85%。任期は同年3月18日からであったが、桑山が2月23日に市議会議長に辞表願を提出、市議会が3月定例会初日の3月1日に全会一致で辞職に同意したため3月2日付で繰上就任した[5]。
2014年(平成26年)、自由民主党所属の前県議の谷口圭三[6]を破り再選(宮地:26,818票、谷口:20,607票)[7]。投票率は56.79%。
2018年(平成30年)の市長選で再び谷口との一騎打ちとなるも破れる(谷口:25,800票、宮地:20,803票)。任期満了となる3月1日を前に、辞職届を提出した[8]。2月26日開会の市議会定例会で辞職が同意され、同日付で失職した[9]。
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脚注
外部リンク
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