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宮崎山形屋
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株式会社宮崎山形屋(みやざきやまかたや)は、日本の百貨店[1]。山形屋ホールディングスの完全子会社である。
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概要
ボンベルタ橘(橘百貨店)などとともに宮崎市の中心市街地の核となる商業施設である。
旭通一丁目の丸三呉服店を買収し山形屋宮崎支店として開店した[3]。 しかし、1952年10月に橘百貨店が開店し、商店街の中心が北へ移動した。
そこで、橘百貨店に対面する位置にあった映画館ロマン座などを買収し[4]、1956年(昭和31年)5月18日に現在地へ新築移転した[5]。 この結果、宮崎市の商店街は、500メートル以上北側に移動することとなった。新店舗は、宮崎市で初めて地下に食料品部門の売場を設置したことや、4階の食堂に東郷青児[6]が描いた優雅な女性像があることなどで、宮崎市民の話題となった。なお、東郷青児による絵画は後の改修時に発見され、現在は新館1階に展示されている。[要出典]
その後、宮崎山形屋は、宮崎市の中心となるデパートとして繁栄してきた[7]。2005年のイオン宮崎ショッピングセンター(現:イオンモール宮崎)の開業では、大きな影響を受けることが懸念された。しかし、山形屋の品揃えが中高年向けで、高級品を中心としているために客層がずれていることなどにより、影響は予想より軽微にとどまっており[8]、さらに対抗して新館を建設した。なお、2018年のイオンモール宮崎リニューアルに際し、イオンモール宮崎内にギフトショップを出店している[9]。
1997年・2002年にそれぞれ新館の計画が打ち出されたものの、長引く不況やイオンの進出決定などの影響で見送られてきた[10]。しかし中心市街地の賑わいを取り戻すべく2005年春にようやく着工、2006年9月12日には新館がオープンした。その際に、宮崎で初めてのCOACHやスターバックスコーヒーなどが進出している[11]。
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沿革
- 1936年(昭和11年)12月15日 - 旭通一丁目の丸三呉服店を買収し山形屋宮崎支店として開店[3]。
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 山形屋から分離独立し、株式会社宮崎山形屋が発足[1]。
- 1956年(昭和31年)5月18日[5] - 橘通五丁目(現・橘通東三丁目)のロマン座などを買収し[4]、地下1階、地上4階建ての新店舗を建設して移転[5]。
- 1966年(昭和41年) - 増床[12]。
- 1971年(昭和46年) - 地下1階・地上6階を増床[要出典]。
- 1973年(昭和48年) - 7・8階を増築[要出典]。
- 2006年(平成18年)9月 - 新館が完成し、本館とあわせて売り場面積が1.4倍の約2万平方メートルになる[13]。
- 2008年(平成20年)6月 - 新館の東側に第一種市街地再開発事業により立体駐車場「Y・YPARK」完成。1階の一部を店舗として使用[14]。
- 2020年(令和2年)2月 - これまでの営業部、外商部、総務部の3部に加えて、新たに「営業推進部」の設立を発表。販売促進や顧客サービスの充実特化を図る。
- 2024年8月 - 山形屋HD発足により宮崎山形屋食堂と日南山形屋を吸収合併。
- 2025年2月28日 - 日南山形屋を百貨店としての営業終了・翌3月1日にギフトショップに業態転換。
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ギフトショップ・外商部出張所
- 都城、延岡、日向、高鍋、西都、小林、日南、平和台[9](外商部出張所はなし)
関連項目
脚注
外部リンク
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