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宮崎東映劇場

宮崎市にあった映画館(1951-1993) ウィキペディアから

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宮崎東映劇場(みやざきとうえいげきじょう)は、かつて宮崎県宮崎市中央通3丁目にあった東映系列の映画館。東映の子会社である九州東映事業が運営していた[2]1951年昭和26年)7月に開館し、1993年平成5年)に移転。1999年(平成11年)1月17日に閉館した。

概要 宮崎東映劇場 Miyazaki Toei Theater, 情報 ...

閉館後の2代目施設跡地に入居していた「宮崎マジソン・シアター」(みやざきマジソン・シアター、「マジソン劇場」とも)についても本項で述べる。

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データ

さらに見る 代, 所在地 (宮崎県宮崎市) ...

沿革

宮崎東映劇場

1951年昭和26年)7月、宮崎市黒迫町1丁目55番地に「宮崎劇場」として設立・開業したのが最初で[3][注 1]、1954年頃に東映の直営館となり、宮崎東映劇場と改称する[2]。全国の映画館数がピークに達した1960年(昭和35年)当時、宮崎県内には104の映画館が存在しており、そのうち東映の名を冠した劇場は当館の他、延岡市の桜園東映、日向市の日向東映、都城市の都城東映[注 2]小林市の小林東映、日南市の日南東映、串間市の串間東映、西都市の西都東映の計8館であった[注 3]

だが15年後の1975年(昭和50年)になると、宮崎県の映画館は九州7県で最も少ない30館に減少[注 4]。その後1978年(昭和53年)に改装を行い、別館として中央通6丁目10番地に宮崎ロマン東映を新設。ロマン東映はその後東映パラスを経て宮崎ロマンとなり、成人映画の上映館へと移行する。

1993年平成5年)、宮崎東映劇場は約42年間所在していた場所での営業を終え(跡地には商業施設ビル「ウエストビルⅠ」が立地している)、中央通3丁目の東洋ビル4階に移り、180席の映画館として再出発した。同市に本店を置く「中めがね店」が所有する東洋ビルには当館の他、松竹洋画系の宮崎ピカデリーとミニシアターの宮崎シネサロンも入居していた[6]

しかし観客数の低迷による経営難を理由に、移転から6年後の1999年(平成11年)1月17日付で東映直営館としては閉館[2]。当時の支配人は異例の若さで抜擢されていた青松俊哉で、2001年(平成13年)にオープンした宮崎キネマ館の3代目支配人を務めていた[7]

宮崎マジソン・シアター

1999年(平成11年)1月23日、マジソン・エンターテイメントが経営を引き継ぎ、「宮崎マジソン・シアター」として再オープン。観客定員数も159席に減り、松竹系・東宝系を問わず新作を上映していたが、2005年(平成17年)にシネマコンプレックスセントラルシネマ宮崎がオープンすると観客数が徐々に減少し[6]、翌2006年(平成18年)にマジソン・シアターは閉館。残ったピカデリーとシネサロンも2007年(平成19年)12月21日をもって営業を終えた[6]

ピカデリーとシネサロンがあった東洋ビル5階の跡地はライブハウス「宮崎Floor/floor R」となり残存しているが、移転後の宮崎東映→マジソン・シアターがあった同ビル4階は令和改元後の2022年(令和4年)時点においても空きテナントの状況が続いている。

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脚注

外部リンク

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