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宮崎直定
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宮崎 直定(みやざき なおさだ)は、戦国時代の武将。畠山氏の家臣。
概要
紀伊国の宮崎氏は熊野別当湛増の末裔とされ、宮崎荘を本拠地とした国人。通説では嘉応年間の宮崎定範から天正13年(1585年)に豊臣秀吉によって没収されるまで約400年間宮崎荘の領主であったとされるが、史料から確認できる「安養寺文書」内の寛正2年(1461年)9月付の文書に見える藤原定経や永正11年(1514年)10月付の文書に見える藤原定軌、飛鳥神社にある文明8年(1476年)7月16日付の棟札に見える藤原定弘らが宮崎氏の祖とされる[2]。
直定は『有田市誌』所収の系譜によると宮崎慶真の子とされるが、『古今采輯』によると湯河直光の子とされる[1][2]。
後世の資料によると宮崎荘7箇所3000石を領地としていたものの、天正13年(1585年)に豊臣秀吉によって没収されたという[4]。
脚注
関連項目
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