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宮本安蔵
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宮本 安蔵[1](みやもと やすぞう、1892年〈明治25年〉2月10日[1] - 1923年〈大正12年〉9月1日[2])は、日本の検事、判事[1][2][3][4]。位階は従六位[5]。
経歴
東京市麹町区上二番町[1](現・東京都千代田区一番町)出身。東京府士族、地家主、書籍商、貸金業・宮本央の四男[6][7][8]。1914年に第七高等学校造士館卒業[9]。
1917年7月に東京帝国大学法科大学法律学科卒業[10]、同年8月に司法官試補、東京地方裁判所詰[1]。1919年3月に検事、東京地方裁判所予備検事、同年4月に千葉地方裁判所検事[1]。
1920年3月に熊谷区裁判所検事、同年12月に判事、東京地方裁判所判事[1]。1922年7月に横浜区裁判所判事[1]。1923年9月1日の関東大震災により、公判開廷中の横浜地方裁判所が崩壊し、煉瓦の下敷きとなって圧死した[2]。
人物
安蔵は鹿児島の七高時代に桜島爆発に遇ったことがあり、妻に「自分は地震には経験がある故地震の為に死ぬ様な事はない。併し横浜地方裁判所に居れば死ぬかも知れぬ。あの建物は煉瓦造りでは横浜一の古いもので、少し激しい地震ならば必ず壊れる故、そうすれば命はどうなるか分からない」と述べていたという[4]。
家族・親族
- 宮本家
→詳細は「宮本央 § 家族・親族」を参照
- 妻・千代子[4](あるいは千代[8]、1901年 - ?、東京、及部盛種の二女)[6][8]
- 長男・秀忠[8](1921年 - ?、郷隆の婿養子)
- 二男・輝久[8](1922年 - 1974年、東洋化工社長[11]、宮本佳代子の父) - 明治大学商学部卒業。
- 長女[8]
- 親戚
- 妻の父・及部盛種(陸軍少将)
脚注
参考文献
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