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宮本易孝
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宮本 易孝(みやもと やすたか、嘉永3年1月6日(1850年2月17日) - 明治45年(1912年)5月22日)は日本の政治家。中浜村長(第2代)、村会議員、郡会議員。西伯郡町村長代表を務めるほどの実力者村長だった[1]。
経歴
小篠津村(現鳥取県境港市小篠津町)の豪農宮本家に生まれる[1]。易孝の父宗久は茶人として知られる一方、明治初期の戸長職も務めた[1]。
明治30年(1897年)12月、第2代中浜村長に就任した[1]。
明治31年(1898年)小篠津村字茶苑畑に7棟86坪の避病舎を建築したのをはじめ、農友会を組織して産業の改良発達や風紀の改善につとめた[2]。退任後郡会議員として活躍したが、2期目の在職中に没した[2]。
参考文献
- 『境港市史 上巻』(1986年、編集・発行境港市、555 - 556頁)
脚注
外部リンク
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