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富塚陽一
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富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月16日[1] - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の政治家。初代鶴岡市長、旧鶴岡市12代市長。2011年旭日中綬章受章。
来歴・人物
鶴岡市出身。東北大学経済学部を卒業後、山形県庁に入庁。企画調整部長等を歴任[2]。
1991年、旧鶴岡市の市長選で初当選。以後5期18年にわたって市長を務めた。市長在任中には、学術研究機関の整備による地域振興を政策理念の柱にとし、慶應義塾大学先端生命科学研究所の招致などに尽力した[3]。 「官僚的な人物だった」と一部では評価されている[4]。
2011年、旭日中綬章受章[5]。
略歴
- 1931年(昭和6年)4月16日 - 出生。
- 1950年(昭和25年)3月 - 山形県立鶴岡第一高等学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業。
- 1954年(昭和29年) 東北大学経済学部卒業後、山形県職員となる。
- 以降、商工労働部商工課長、企画調整部長、生活福祉部長、総務部長等を歴任。
- 1990年(平成2年)4月 - 同職を退職する。
- 1991年(平成3年)12月 - (旧)鶴岡市12代市長に就任。
- 2002年(平成14年)7月10日 - 「庄内南部地区合併検討協議会」会長に就任。
- 2005年(平成17年)10月24日 - 初代鶴岡市長に就任。
- 2006年(平成18年)6月23日 - 「鶴岡地区合併協議会」会長に就任。
- 2008年(平成20年)12月22日 - 「市町村長の会」会長に就任。
- 2009年(平成21年)
- 6月 - 定例市議会で、次期市長選挙に出馬しない事を正式に表明する。
- 10月23日 - 任期満了となり退任。
- 2018年(平成30年)6月18日 - 死去。
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著書
- 『鶴岡市長日記』東北出版企画、2006年。ISBN 4-88761-031-9
共著
参考資料
- 東北経済産業局 『提言東北21』 2005年。
脚注
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