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富山市役所
富山県富山市の行政機関 ウィキペディアから
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富山市役所(とやましやくしょ)は、日本の地方公共団体である富山市の執行機関としての事務を行う施設(役所)である。
所在地
沿革
- 1889年(明治22年)5月30日 - 総曲輪の商業会議所内に市役所を仮設[2]。
- 1892年(明治25年)12月11日 - 総曲輪の富山病院(現在の富山市民プラザ)向かいの地にて、同年8月から建設されていた市役所の新築工事が完成[3][4]。
- 1899年(明治32年)8月12日 - 富山市の大火によって市役所を焼失[5]。これにより総曲輪尋常小学校で事務を行っていたが、同年8月30日に梅沢町の真興寺へ移った[6]。
- 1901年(明治34年) - 市役所を旧庁舎跡地に再建[4]。
- 1917年(大正6年)12月27日 - 18時40分頃、積雪により庁舎に被害が生じる[7]。
- 1918年(大正7年)1月4日 - 同日以降、前述の雪害の影響で富山図書館で市役所の事務を実施[8]。
- 1920年(大正9年) - 前述の雪害に加え庁舎自体が手狭になったことから。総曲輪の大手町通りに新庁舎を建設する事が決まる[4]。同年4月23日に新庁舎の地鎮祭を挙行[9]。
- 1921年(大正10年)4月10日 - 市役所の新築落成式[10]。
- 1945年(昭和20年)8月2日 - 富山大空襲により県庁舎焼失。富山県庁の自動車車庫に仮寓[11]。
- 1946年(昭和21年)2月25日 - 県庁東側の総曲輪小学校跡に仮市庁舎が完成したので、これに移転し業務を開始[12]。
- 1950年(昭和25年)9月28日 - 仮庁舎の所在地が都市計画路線に当たることとなったため、更に新仮庁舎を移転新築し業務を開始[13]。
- 1953年(昭和28年)5月16日 - 佐藤工業により新庁舎が起工[14]。
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 戦災11周年記念として塔上に「感謝と栄光」「敬愛と安靖」の双鐘が設置され、始鳴式が挙行された(毎日、朝夕晩と3回、市内に鳴り響いていた)[16][17]。
- 1989年(平成元年)12月 - 現市庁舎が着工[18]。これに伴い12月22日、現庁舎完成まで、市役所の仮庁舎が富山電気ビルデイングに入居(翌1990年1月4日からは電気ビル以外の5箇所でも仮庁舎として運用開始)[19]。
- 1990年(平成2年) - 旧庁舎解体[16]。
- 1992年(平成4年)5月 - 現市庁舎が完成(同月25日より業務開始)[18]。
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市庁舎
現在の庁舎は市制施行100周年を記念し1989年(平成元年)12月に着工、1992年(平成4年)5月に完成(同月25日より業務開始)したものである[18]。鉄骨鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造りおよび鉄筋コンクリート造)地下2階地上8階建て、延床面積43,471m2[1]。立山連峰を連想させる8階まで吹き抜けのアトリウム屋根を備え、塔の高さは地上78.8m(アンテナ99.8m[20])。最上階の展望塔(高さ70m[20]、入場無料)からは富山市街が一望でき、天候が良ければ東の方角に立山連峰を望むことができる。
行政サービスセンター
- 大沢野行政サービスセンター - 富山市高内333番地
- 大山行政サービスセンター - 富山市上滝525番地
- 八尾行政サービスセンター - 富山市八尾町福島151番地
- 八尾保健福祉センター - 富山市八尾町福島200番地
- 婦中行政サービスセンター - 富山市婦中町速星754番地
- 西保健福祉センター - 富山市婦中町羽根1105番地7
- 山田中核型地区センター - 富山市山田湯780番地
- 細入中核型地区センター - 富山市楡原1088番地
施設周辺
脚注
関連項目
外部リンク
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