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富田浜
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富田浜(とみだはま)は、徳島県徳島市の町名。東富田地区に属している。富田浜1丁目から富田浜4丁目まである。郵便番号は〒770-0931。
人口
地理
徳島市の中央部、都心地域(中心市街地)南部の東富田地区北縁に位置する。西に流れる新町川の南岸で東西に伸び、川沿いの通りの南側(一部で両側)に広がる。
西から1~4丁目。この丁番は、南の仲之町 (徳島市)・南仲之町の1~4丁目と東西の位置が揃っている。
北は西流する新町川に面し、対岸の南内町と、町内ないしすぐ傍の橋で結ばれる。南は仲之町の商店街に接す。南北は一部を除き、平行する裏通が町境となっている。南からは、南北に伸びる伊月町(富田浜1・2丁目間)・富田橋(富田浜2・3丁目間)も伸びている。富田橋との町境は込み入っているが、おそらく富田橋は途切れずに富田浜2丁目と3丁目を分断して新町川まで達している[3]。
東端では、南北に走るJR牟岐線が町境である。道はアンダーパスで線路の下をくぐり国道55号と十字路をなす。西は両国橋公園を隔てて両国橋に接する。
隣接する町
地形
- 河川:新町川
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歴史
江戸時代には武家町で、富田浜側あるいは単に浜側と呼ばれた。東端から富田東御屋敷・西御屋敷・中老蜂須賀伊豆の屋敷などが並んだ。中央で渡場通(現 富田橋通り)が南から丁字路で接続して、現在の富田橋の位置から新町川に渡し舟が出ていた。
1889年の徳島市市制施行前は、名東郡富田浦町だった。市制により徳島市の大字となった。
1885年、県立徳島中学校(徳中、現 徳島県立城南高等学校)が現在の市役所の位置から西御屋敷跡に移転して来た。東隣の東御屋敷跡は徳中の運動場となった[4]。
徳中西隣の蜂須賀伊豆屋敷跡は県公会堂となり、のちに徳島公園内に移築され、武徳殿(のちの旧武道館)となった。跡地は県庁となった[4](現在の県庁所在地とは異なる)。
もとは富田のちに富田浦町(江戸時代には富田、明治初期までに名東郡富田浦町、1889年の徳島市市制から徳島市の大字の富田浦町)の一部だったが、1941年に独立した町となった。町名の由来は、富田北東部が新町川の川沿いに面したことによる。1942年に船場町の一部を編入。1975年に両国橋の一部を編入。
施設

- 史跡・観光
- 学校
- 企業
- 公共施設
- 宗教施設
- 浄土真宗本願寺派徳島教室
交通
町内に国道・県道・鉄道・バス停なし。
橋梁
参考文献
外部リンク
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