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富田浜

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富田浜
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富田浜(とみだはま)は、徳島県徳島市町名東富田地区に属している。富田浜1丁目から富田浜4丁目まである。郵便番号は〒770-0931。

概要 富田浜, 国 ...

人口

2011年6月。徳島市の調査より[1][2]

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地理

徳島市の中央部、都心地域(中心市街地)南部の東富田地区北縁に位置する。西に流れる新町川の南岸で東西に伸び、川沿いの通りの南側(一部で両側)に広がる。

西から1~4丁目。この丁番は、南の仲之町 (徳島市)南仲之町の1~4丁目と東西の位置が揃っている。

北は西流する新町川に面し、対岸の南内町と、町内ないしすぐ傍の橋で結ばれる。南は仲之町の商店街に接す。南北は一部を除き、平行する裏通が町境となっている。南からは、南北に伸びる伊月町(富田浜1・2丁目間)・富田橋(富田浜2・3丁目間)も伸びている。富田橋との町境は込み入っているが、おそらく富田橋は途切れずに富田浜2丁目と3丁目を分断して新町川まで達している[3]

東端では、南北に走るJR牟岐線が町境である。道はアンダーパスで線路の下をくぐり国道55号十字路をなす。西は両国橋公園を隔てて両国橋に接する。

隣接する町

地形

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歴史

江戸時代には武家町で、富田浜側あるいは単に浜側と呼ばれた。東端から富田東御屋敷・西御屋敷・中老蜂須賀伊豆の屋敷などが並んだ。中央で渡場通(現 富田橋通り)が南から丁字路で接続して、現在の富田橋の位置から新町川に渡し舟が出ていた。

1889年の徳島市市制施行前は、名東郡富田浦町だった。市制により徳島市の大字となった。

1885年、県立徳島中学校(徳中、現 徳島県立城南高等学校)が現在の市役所の位置から西御屋敷跡に移転して来た。東隣の東御屋敷跡は徳中の運動場となった[4]

徳中西隣の蜂須賀伊豆屋敷跡は県公会堂となり、のちに徳島公園内に移築され、武徳殿(のちの旧武道館)となった。跡地は県庁となった[4](現在の県庁所在地とは異なる)。

もとは富田のちに富田浦町(江戸時代には富田、明治初期までに名東郡富田浦町、1889年の徳島市市制から徳島市の大字の富田浦町)の一部だったが、1941年に独立した町となった。町名の由来は、富田北東部が新町川の川沿いに面したことによる。1942年船場町の一部を編入。1975年に両国橋の一部を編入。

1945年7月4日徳島大空襲では、著しい戦火を受けた。

施設

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三河家住宅

交通

町内に国道・県道・鉄道・バス停なし。

橋梁

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参考文献

外部リンク

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